(稲垣純也撮影)

食べるスープの専門店「Soup Stock Tokyo(スープストックトーキョー)」などを展開していたスマイルズ(東京・目黒)は、2016年にSoup Stock Tokyo事業を分社化し、新たにスープストックトーキョー(東京・目黒)を設立した。しかし、分社化をきっかけに組織のカルチャーが大きく変わり、社員のモチベーションが下がるなど、離職率は23%にまで上昇。職場に霧のような大きなモヤがかかった。

そんな状況に危機感を持ったスープストックトーキョーの人材開発部は、離職率を下げるために3カ年計画で人事制度の改革に着手。結果は功を奏した。18年には離職率が15%にまで下がった。

いったいどのような改革をしたのか。改革の中核を担ったのは、人材開発部の部長、江澤身和さん。そこで江澤さんに制度改革に携わるまでの道のりや、具体的な制度改革の中身を聞いた。

「ほぼニート」から「人材開発部部長」に

「私は短大卒業後、自分のやりたいことが見つからずアルバイトをしたり、働いていない時期があったりと、5年ほどニートのようなふらふらした期間がありました。そんな中、旅行でたまたま泊まったご夫婦2人で経営するゲストハウスに心を引かれました。1階はカフェになっていて、地元の人と気軽に触れ合える雰囲気がすてきで、自分も将来はゲストハウスを経営したいと思い、まずは店づくりを学べる仕事を探しました。そこで見つけたのが、Soup Stock Tokyoの店舗で働くアルバイトでした」

江澤さんの計画では、そこで接客ノウハウを学び、1年ほどでアルバイトを辞め、正社員として店舗運営を任せてもらえるような職場を探す予定だった。けれども、短大卒業後の5年間のブランクは大きく、転職活動はなかなかうまくいかなかった。そこで、Soup Stock Tokyoを運営するスマイルズ(分社前)で正社員として働くという選択肢を考えるようになったという。

「本当は早く辞めるつもりでした(笑)。でも、スープがおいしくて、自分自身が商品のファンになったことや、アルバイトでも店舗の改善案を採用してもらえること、アルバイトの正社員採用に積極的であることなどを考えて、スマイルズで正社員として働く道を選びました」

江澤さんは、アルバイト採用から約1年半後に正社員に。「店舗運営を本気で学びたい」と仕事にまい進したところ、3カ月後には店長を任された。

さらに、入社5年目の10年には、店舗から本社の法人営業部に異動。冷凍スープの専門店「家で食べるスープストックトーキョー」のブランド立ち上げや17店舗の新店立ち上げなどをけん引。16年の分社化に伴い、新会社であるスープストックトーキョーの取締役兼人材開発部部長に抜てきされた。アルバイトや社員に対する指導が評価されたかたちだ。

江澤身和さん。アルバイトからスタートし、現在はスープストックトーキョーの人材開発部部長。人事制度の改革では、店舗運営側、本社側の両方で得た経験が生きているという=稲垣純也撮影

「店舗運営をする上での大きな課題の一つは人材不足です。でも、私が店長をしていた店舗は、他店舗に比べて離職率が低かったんです。『どうしたらみんなが気持ちよく働けるのか』を考えながら、ポジションに関係なく一人ひとりの意見を聞いて、お店のルールや仕組みをつくっていました。現場(店舗)で働くほうが自分には向いていると思っていたので、本社で働くことにはためらいもあったのですが、新しいチャレンジをしてみたいと思い、内示を受けました」

しかし、その頃の社内は、分社化に伴い組織にハレーションが起き、どんどん人が辞めていく状況にあった。

分社化で社員が不安に、離職率上昇

Soup Stock Tokyoは、スマイルズの創業者であり現在は代表の遠山正道氏が立ち上げた食べるスープの専門店だ。スマイルズはスープの専門店運営以外に、ブランドのコンサルティングやプロデュースなどのクライアント事業も展開。このため16年、クリエーティブコンサル事業を手掛けるスマイルズと、Soup Stock Tokyo事業を手掛けるスープストックトーキョーに分社した。

「事業内容が大きく異なる2つの会社に分かれたことで、社員のモチベーションに差が生まれ、離職率が一気に23%にまで上がりました。会社がどこに向かっているのかが分からなくなり、社員は不安な気持ちになっていたと思います。そこで、当時社長だった松尾真継(現・副社長兼CFO、最高財務責任者)とともに、16年から18年にかけての3カ年計画を立て、社員一人ひとりに話を聞きながら、人事制度をつくり直すことにしました」

厚生労働省「令和4年雇用動向調査」における「産業別入職者・離職者状況」を見ると、離職率は「宿泊業、飲食サービス業」が26.8%と最も高く、「サービス業(他に分類されないもの)」が19.4%、「生活関連サービス業、娯楽業」が18.7%と続く。課題としては主に、業務量の多さ、休みの取りにくさ、シフト制によるコミュニケーション不足などが挙げられ、対策としては従業員のエンゲージメント(働きがい)を高める施策が有効とされている。飲食業はこのような課題から離職率が高い傾向にあり、各社は改善策に苦労している現状がある。

江澤さんはどうしたか。人事開発部の部長として最初に取り組んだのは、評価制度の改革だった。

「例えば、グレードを上げるための成果指標の1つに『個人のスキルを上げる』という内容がありましたが、曖昧な表現だったため、評価者もフィードバックがしにくかった。そこで求めているスキルをみんなが理解できるよう言語化し、明確にしました」

「例えば、評価指標に3本軸『対人』『対思考』『対行動』を設け、行動事例も共に、それぞれの項目に求める要件を設定しました。こうすることで評価者が評価対象者の強みと弱みを認識し、具体的にフィードバックできるようになりました」

「また、自己評価シートを半年に1回提出する仕組みでしたが、半年もすると記載した内容(目標など)を忘れてしまうため、それらをもっと具体的に日々意識できるよう、自己評価シートの内容を見直しました。『半年間の成長』『今抱えている課題』『次の半年の目標』を自己評価シートに書いてもらい、半年前と今回でどれくらい成長したのかという成長率を独自に数値化し、それに応じて昇給・降給を決定する仕組みを導入しました」

残業2時間削減で離職率が23%から15%に

江澤さんはこうした評価制度を含む、人事制度の見直しを、前述の3カ年計画で積極的に進めていった。

新たに設けた人事制度
【生活価値拡充休暇】年間の休暇日を120日に定めた
【バーチャル社員制度】退職者に「バーチャル社員証」を発行し、退職後も関わり合うイベントを開催する
【やりたいことコンペティション】全社員に新規事業をプレゼンする機会をつくる
【社内報Smash】SNS(交流サイト)機能を兼ね備えた社内報を社外の人にも見せられるサイトを運営する
【賞賛カード】賞賛したい社員やスタッフに渡すことができるカードをつくる
【リファラル(推薦)紹介制度】アルバイトも利用できる

その中でも特に社員に注目されたのは、「生活価値拡充休暇」だ。

「ネガティブな理由での離職をなくしたいと思ってつくった制度です。社内にヒアリングすると、『仕事は好きだけど、家庭の事情や自身の体調面を考えると、長い時間は働けない』という声があり、『離職率が上がって人が減り、1人当たりの残業時間が増えて、離職につながる』という負のスパイラルが起きていたことが分かりました。そこで、本社、店舗、すべての社員が年120日間、休暇が取れる制度にしました。休みが増えると、人手は減りますが、そのために役員や管理職が現場のサポートに回るなど、休暇する人がいても業務が滞らない仕組みをつくりました」

しっかり休みを取り、効率的に働けるようになったためか、月の平均残業時間が2時間減ったという(改革後の18年は、月の平均残業時間は16.5時間)。

人事制度について語る江澤さん(写真:稲垣純也)

退職するにせよ、「前向きな退職」になるような制度も考えた。それが希望する退職者にバーチャル社員証を発行する「バーチャル社員制度」である。バーチャル社員証を使えば、退職後も10%オフで店舗を利用できるだけでなく、社内報を見たり、社内向けイベントに参加できたりする。

「辞めた後も関わりを持ち続けることで、退職者がスープストックトーキョーについてポジティブな発信をしてくれる。新たな雇用や業務提携にもつながっています」と江澤さんは笑顔で語る。

こうした人事制度が導入された18年は、結果として正社員の離職率が15%まで改善された(16年は23%)。さらに、アルバイトの退職者数も35%減少するという目に見える成果が得られた。しかし、すべての制度が十分に機能しているというわけではなく、日々見直しも検討している。

「『社内報Smash』は社員もアルバイトも参加できる社内向けのSNSで、違う店舗やポジションで働く人たちが交流してほしいという目的で運営しています。しかし、そうした場を設けるだけでは、普段関わらない人たちの間で活発なコミュニケーションを生むのは難しいと分かりました。制度を運用してみて分かることも多いですし、働く環境や企業の成長に合わせて人事制度も日々アップデートしていかなければならないと思っています」

江澤さんの次の一手は何か。その1つに「介護」がある。「私にとってはまだ身近なトピックではありませんが、介護と仕事の両立で悩んでいる人もいます。そういう課題を、一人ひとりから聞き出し、一緒に考えながら人事制度に落とし込んでいきたいです」

(ライター 橋本岬)

[日経ビジネス電子版 2024年3月15日の記事を再構成]

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