コンテナ取扱量の爆発的な増加から一転して利用減に陥っている釜石港が、再浮上の兆しを見せている。22日には新たな輸送航路も開設される。それを後押ししているのは「2024年問題」だ。

 釜石港は東日本大震災までは、主に県内の工場があるトヨタ車の搬出入に使われていたが、震災後は仙台港に一本化されてしまった。この窮地を何とかしようと、釜石市で港湾担当をしている中平貴之さん(50)=現・市産業振興部付課長=は、世界の物流の主軸になっているコンテナに活路を求めた。

 道路は開通すれば利用者が来るが、港は航路がないと荷物が来ない。2011年に京浜港(東京・神奈川)への国際フィーダー定期航路(輸出入の拠点港に運ぶための支線航路)を、17年には韓国・釜山や中国・上海と結ぶ外貿定期航路を誘致した。

 紙やパルプを中心にコンテナ取扱量は急伸した。震災前年には3企業、114TEU(1TEUは長さ20フィートのコンテナ1個分)だった取扱量は、19年に84社、9292TEUへと80倍になった。20年1月、日本港湾協会から最も優れた実績や活動をした港「ポート・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。中平さんは「コンテナ王子」と呼ばれた。

 年間1万TEUに手が届きかけた20年、コロナ禍が襲った。加えて記録的不漁や、福島第一原発事故の処理水放出で23年に中国が日本からの水産物の輸入を禁止したことなどが重なった。

 さらに、岩手県内の製紙工場が設備老朽化からの不調で長期に生産を停止したこともあり、23年のコンテナ取扱量は3年前の7割の6444TEUに減った。

 しかし今、トラックドライバーの時間外労働の上限が減らされることで人員が不足する「2024年問題」が追い風となっている。野村総合研究所の推計では、ドライバー不足で30年に東北の41%の荷物が運べなくなる。この割合は四国と並んで全国最悪だ。

 今年3月下旬、中国国有の海運大手「中国遠洋海運集団(コスコ)」から中平さんに電話が来た。

 「貨物を出してくれる会社を知りませんか」

 今後、長距離のトラック輸送が困難になり、輸送費も高騰する貨物を、近場の釜石港まで運んで海上輸送するルートに切り替える荷主を狙っていたのだった。

 コスコには毎週横浜から北海道の苫小牧を経て南下する国際フィーダー航路がある。荷が集まれば寄港先に釜石港を加えることができる。5月下旬、中平さんは海運会社の営業幹部と荷主12社を回ってセールスをした。5社が決まった。

 また、市の独自の営業努力もあり、ある上場企業は、仙台港からトラック輸送で北東北に運んでいた製品を、4月から海路で釜石港まで運んでトラック輸送するルートに切り替えた。

 「コストだけではなく、これまでの付き合い、秩序があって、すぐには変わらない」。中平さんはそう話す一方、「十数年セールスに通っても陸上から海上に切り替えなかった大手企業も、考えを変え始めている」と希望を持つ。次の目標は、震災前のように車の輸送を増やすことだという。

 課題はある。人員不足は海運業界も同じで、急激に船の数を増やすことはできない。加工貿易国なので、円安による輸入原料高騰が物流を鈍らせている。それでも中平さんは「今年は過去最高近くまでコンテナの取扱量を戻したい」と営業活動に余念がない。(東野真和)

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