第2次世界大戦後、オランダからの独立戦争に加わった元日本兵たちの記録を展示するジャカルタの資料室を訪れた。日本が戦時中に占領したインドネシアに残留し、オランダと戦った元日本兵らがつくった「福祉友の会」が運営。元日本兵らの記憶を語り継ぐ場となっている。

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 3月、ジャカルタ市内にある低層の雑居ビル。ここに昨年7月、資料室がオープンした。壁には60人の元兵士たちの白黒写真が掲げられているほか、同会の会員が残した手記なども展示されている。

 祖父の故田中幸年さんが独立戦争に参加したミアガ・プアナ・タナカさん(31)によれば、戦争には約900人の元日本兵が加わり、約600人が戦死した。1979年、生き残った元兵士107人が呼びかけ人になって会が発足。会員は230人を数えたが、2014年に最後の一人が亡くなった。

 それでも、記憶は脈々と受け継がれている。和歌山出身で旧海軍兵士だった故上田金雄さんを曽祖父に持つヨガ・クスマ・ウエダさん(25)は「日本の政治家や自衛隊関係者らの訪問が後を絶たない」と語る。

 旧日本軍には植民地だった台湾と朝鮮の出身者もおり、同会にも5人の台湾出身者がいた。そのうちの1人、故宮原永治さんが日本のテレビ局の取材に「日本軍兵士として国民党と戦った自分が、国民党が支配する台湾には戻れない」と証言している姿の映像が、資料室に流れていた。

 一方、会員に朝鮮出身者はいない。タナカさんもウエダさんも「どうして朝鮮人がいないのかはわからない」と語る。名簿などの資料から、少なくとも4人の朝鮮出身者が敗戦後、インドネシアに残留したことがわかっている程度で、詳細は不明だ。

 同じ旧日本軍の兵士でも、日本人と朝鮮人、台湾人には、記録や記憶の「差」があることを同会の資料は物語っている。(ジャカルタ=牧野愛博)

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