タイ・バンコクで2月、観客に手を振る渋谷ザニーさん
バンコク中心部のショッピングモール「セントラルワールド」に設けられた特設ステージには、多くの観客が詰めかけた。「ZARNY collection」の文字を背景に、スパンコールやファーをあしらった華やかなドレスを着たモデルたちが次々と登場。ランウエーを歩き、ポーズを決めるたびに、会場からは大きな歓声が上がった。 ショーは「10周年記念」と銘打たれたが、実際にはデビューから13周年にあたる。コロナ禍で10周年のショーができず、3年遅れでの開催となった。「暗い時代が終わり、きらびやかなデザインが世界のトレンドになっている」という。◆日本に亡命、皇族の礼服も手がける
ミャンマーの最大都市ヤンゴンで生まれた。民主活動家だった父は1988年に起きた民主化運動に加わり、89年に日本へ亡命。ザニーさんも母と一緒に、父の後を追って逃れてきた。 小さい頃からファッションやイラストが好きだった。中学生時代はフランスのデザイナー、ジャンポール・ゴルチエさんの服に憧れた。高校生の時、イタリアのデザイナー、ジャンフランコ・フェレさんの本と出合い、「将来デザイナーになろう」と決めた。 大学在学中に東京・渋谷でスカウトされ、雑誌モデルとして活躍。大学卒業後にデザイナーの道へ進み、2011年にファッションブランド「ZARNY」を立ち上げ、国賓や著名人、皇族の礼服まで手がけるブランドになった。◆スーチーさん「なぜヤンゴンでやらないの?」
ミャンマーのヤンゴン中心部
一方、12年に日本国籍を取得したが、母国への思いは消えていない。 ミャンマーでは半世紀の軍政の後、11年に民政移管した。ザニーさんは自宅軟禁から解放された民主化指導者アウンサンスーチーさんに、自身がデザインした民族衣装ロンジー約70着をプレゼント。スーチーさんは12年、ノルウェーで21年ぶりにノーベル平和賞受賞スピーチを行った際、そのうちの1着を着用した。 16年にスーチーさんが来日した際に初めて面会。「東京、ソウル、上海で活動しています」と紹介すると、「なぜヤンゴンでやらないの」と尋ねられた。「その言葉をきっかけに、かつてのミャンマーの宮中文化を調べ、デザインにオリエンタルな要素を取り入れるようになった」という。 ミャンマーでは21年に軍事クーデターが起き、再び軍政に戻り、スーチーさんも拘束された。各地で続く国軍と、少数民族武装勢力や民主派武装勢力による戦闘が終わるメドは立たないが、「ファッションを通じて若い人たちに希望を与えたい」とザニーさん。ショーを終えた後、舞台裏には、ミャンマー人の若者たちが差し入れを持ってザニーさんの元へ集まっていた。 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。