6日、全羅南道木浦市で、2017年に引き揚げられ港に置かれているセウォル号

 韓国で2014年に修学旅行中の高校生など304人が犠牲になった旅客船セウォル号の沈没事故から、16日で10年になる。遺族は乗船者の救助に失敗した政府の責任追及などを強く求めたが、政治的な左右対立も絡んで事故の検証は混迷。遺族は今なお「真相究明」を訴えながら、事故の記憶をつなぐ活動を続ける。(安山=アンサン=で、木下大資、写真も)

◆「真相究明と安全社会、実現まだ」

安山市で、多くの生徒が犠牲になった檀園高校2年の教室を復元した「4・16記憶教室」

 ソウルから電車で1時間余りの京畿道(キョンギド)安山市に、多くの生徒が亡くなった檀園(ダンウォン)高校2年の教室を復元した「4・16記憶教室」がある。生徒が使っていた机はもちろん、全10クラスの黒板、ロッカー、窓枠に至るまでそっくりそのまま移築した。その大がかりさから、事故が社会に残した傷の深さが伝わってくる。  21年の開館以降、年間3万人ほどが訪れるが、移築までは曲折があった。遺族は当初、檀園高校で教室を保存するよう望み、他の在校生の保護者らと対立。協議の末に、京畿道教育庁が敷地を提供して移築が行われ、遺族の母親らでつくる4・16記憶貯蔵所が運営することになった。

李智星さん

 長女の金度言(キムドオン)さん=当時(16)=を亡くした所長の李智星(イジソン)さん(53)は「遺族が願う真相究明や安全社会はまだ実現していない。犠牲者を記憶しながら人々の共感を集める必要がある」と語る。

◆遺族に「北寄りの左派」レッテルも

 この10年、事故原因や政府対応の検証を巡って葛藤が続いた。政府は3度にわたり特別調査委員会を設けたが、遺族たちの協議会は「権限が弱く、政府機関の資料が十分に公開されなかった」と追加調査を求める立場をとる。「いつまでやるのか」と冷ややかな目を向ける国民も少なくない。遺族が「従北(北朝鮮に追従する)左派」などと事実無根のレッテルを貼られることすらある。  遺族に寄り添い続ける市民もいる。追悼のため安山市を訪れる人をボランティアで案内する曺美樹(チョミス)さん(48)は「遺族が『助けられたかもしれないのに』と真相を知りたがるのは当然のこと。政治的な色分けに影響されず、彼らの思いが伝われば」と話す。

◆「感情に流された」と反省 そして再びの悲劇

高陽市で、事故の再発防止について語る張勲・416安全社会研究所長

 沈没事故で長男準形(ジュニョン)さん=当時(17)=を失った張勲(チャンフン)さん(52)は、2021年に「416安全社会研究所」を設立し、事故の教訓を生かす提言を続けている。思いを聞いた。  セウォル号は沈没原因ばかり注目されるが、船が完全に沈むまでの約2時間、救助活動がまともに行われずに大きな惨事になった。問題点を明らかにして代案を用意し、システムを変えるのが根本的な解決策だ。国家が市民の安全に責任を負う「生命安全基本法」を制定し、大型事故に対応する常設の調査機構をつくるよう訴えている。  一昨年にソウルの梨泰院(イテウォン)で雑踏事故が起き、「このようなことをなくそうと闘ってきたのに」と衝撃を受けた。10年前は自分の子を守れなかった自責の念にさいなまれ、また同じように別の子どもたちを失ったという罪悪感に襲われた。  振り返れば、私たちが反省する部分も多い。遺族は感情的に流されやすく、当時は大統領の責任まで追及したが、現実的に処罰できる海洋警察庁幹部らに焦点を合わせるべきだった。政治的な攻撃というフレームで捉えられ、対話が成り立たなくなってしまった。  私たちは野宿しながらデモや座り込みをすることが多かった。ストレスで歯が抜け、体を壊した。梨泰院の遺族たちには勧めたくない。こんなことは私たちで終わらせるべきだ。惨事が繰り返されないようにするのは政府の責任であり、子どもたちが市民社会に残した宿題だと思う。

セウォル号沈没事故 仁川(インチョン)から済州島(チェジュド)へ向かう途中、南西部の珍島(チンド)沖で沈没した。無理な増改築や過積載により、船体が傾いた際の復原力が弱まっていたところに、操舵(そうだ)装置の故障で船が急旋回して転覆したとの見方が強い。船長は殺人罪を適用され、二審で無期懲役の判決を受けた。救助活動の失敗にも批判が向けられ、現場に派遣された艇長が懲役3年となったが、海洋警察庁の幹部らは無罪になった。



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