アフリカ北東部スーダンで国軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」の内戦が始まってから、15日で1年が過ぎた。推計で約1万5000人が死亡し、国内外への避難民は860万人を超えるが、ウクライナやガザほど注目されず、「忘れられた紛争」といわれる。国連が「世界最大の避難民危機」と警鐘を鳴らす事態に目をそむけていいのか。日本とは無関係だろうか。(木原育子、森本智之)

スーダン内線 昨年4月15日、スーダン国軍と民兵組織を前身とする「即応支援部隊(RSF)」の戦闘が始まり、全土に拡大した。長期独裁のバシル政権が2019年に崩壊後、民政移管に向けた軍事組織の統合を巡り、国軍とRSFの主導権争いが背景にあるとみられる。国連は、スーダン支援のために今年中に27億ドル(約4100億円)が必要だが、3月下旬時点で5%しか集まっていないとしている。

◆砂漠のオアシスのような街だったのに…

 「壊れた建物を直すことは案外たやすい。ただ一度えぐられた心の傷を癒やすことはそう簡単ではない」。母国の現状を語るスーダン出身のモハメド・オマル・アブディンさん(45)の表情は終始硬かった。  1年前に戦闘が起きた首都ハルツーム出身。「ナイル川の恵みを存分に受けた砂漠のオアシスのような街でした」。出生時から弱視で、12歳で完全に視力を失った。その後、日本に渡ったが、幼いころ、まぶたの裏に残した美しい故郷の姿を振り返った。

内戦前の2019年、ハルツームに集まった親族。前列左端がアブディンさん。中央が父親=アブディンさん提供

 「『衝突した』って書いてある」。国軍とRSFとの内戦の一報はSNSの投稿を見た妻から聞いた。「衝突はお互いに意味も利益もないよ」と楽観的な態度を装ったが、戦闘は激しくなるばかり。  実家にいた父親(80)は「ハルツームにとどまりたい」と望んだが「命だけは守って」と説得。内戦勃発から約1週間後に両親と妹、弟家族は着の身着のまま、200キロほど南東に離れた町に逃げた。

◆飢え、伝染病…ウクライナとは違う深刻さ

 だが戦況は収まらず、医療環境にも不安があるため、全員が陸路でエチオピアに移動。両親と妹はアラブ首長国連邦(UAE)を経由して日本のアブディンさん宅に身を寄せ、弟家族はウガンダに避難した。  「両親はハルツームで静かに余生を暮らしたかっただけなのに、戦争がそのささやかな権利を奪ってしまった」。慣れない日本で暮らす両親をアブディンさんは気遣う。

外務省ホームページに掲載されているスーダンの地図

 ハルツームの実家は建物こそ残っているが、車も家財道具も全て略奪されて、もぬけの殻。「略奪が横行し、安全確保ができない状態のため人道支援も行き渡っていない」という。  アブディンさんは視覚障害者向けの教育環境が整っていない母国を離れ、1998年に来日。福井県立盲学校で鍼灸(しんきゅう)マッサージを学んだ後、東京外国語大、同大学院に進み、博士号を取得した。2007年には日本の学生とともに、NPO法人「スーダン障害者教育支援の会」を設立した。  スーダンの障害者教育を発展させる夢があったが、その母国は内戦で混乱し、国連報告で人口の3分の1相当の1800万人が危機的レベルの飢餓状態という緊急事態に陥った。NPO活動で支援先だった現地の盲学校はRSFに占拠され、校庭に地対空ミサイルの発射台が設置されたという。  アブディンさんは「ウクライナも大変だが、次元の違う大変さがスーダンにはある。深刻な飢えに加え、伝染病の不安も尽きない」と危惧する。  そして「国民が未来への希望を捨てない環境をどうつくれるか。答えが見つからないが、まずは、この『無視された戦争』の現状を知ってほしい」と切望した。

◆別の軍事組織も存在、三つどもえの戦闘状態

1956年の独立後、度々の内戦や軍事政権の圧政に苦しんできたスーダンで、日本の人道支援団体が活動してきた。今回、国外避難を余儀なくされた日本人スタッフらは、エジプトやウガンダなど周辺国を拠点に、スーダン人の手を借りて支援を模索している。  「日本国際ボランティアセンター(JVC)」は南部の南コルドファン州で学校に行けない子どもへの教育支援などを行ってきた。今中航さん(35)は「現地には別の反政府軍事組織があり、三つどもえの戦闘が続いている。予定していた地域で教育支援ができなくなるなど、影響が続いている」と説明。「本当に将来が何も見えない状況を市民の誰もが経験している」と懸念する。

内戦勃発前の昨年3月、スーダンでのマイセトーマ予防事業で、現地の関係者と撮影した写真。左端が相波さん=難民を助ける会(AAR Japan)提供

 「難民を助ける会(AAR Japan)」は内戦の1カ月後から、スーダンで蔓延(まんえん)する感染症マイセトーマの新たな対策事業に着手する予定だったが中止に。スーダン人のスタッフも国内避難民となったが、避難先の東部カッサラ州で今年3月から、同じ立場の避難民向けに食糧や生活必需品の支援を始めた。相波優太さん(33)は「今できること、必要なことを手探りしてきた1年だった。内戦のために支援をやめることがあってはならない。平和が訪れれば、感染症対策も必要になる。あきらめず将来も見据えながら支援を続ける」と述べた。  「ロシナンテス」の川原尚行理事長(58)は外務省の医務官として赴任した2002年以来20年以上、スーダンで医療支援に関わってきた。今回の内戦で現地スタッフも避難。川原さんの友人ら地域住民がその代わりになり、避難所の環境整備などに取り組む。

◆避難する際「戻ってくる」と約束した日本人

 「異例なことだが、20年の間に培った人間関係と信頼の下に支援を継続できている。現地では住居、水、食料、教育、医療。あらゆるものが不足している」と吐露する。  自身の自宅はハルツームにあり、国外避難の際は「自分も家を失った気持ちになった」という。「この20年、心優しいスーダンの人たちに私の方が支えられてきた。避難時、スーダンの人に『戻ってくる』と約束した。必ず戻って、新しい国造りの手助けをしたい」

スーダン南部の南コルドファン州で2023年、JVCが実施した教育支援活動=JVC提供

 千葉大の栗田禎子教授(中東・アフリカ現代史)は現在の情勢について「当初は短期間で収束するとの見通しもあったが、国軍とRSFの激しい戦闘が続き、出口の見えない泥仕合の様相だ。海外の支援団体も退避せざるを得ず、人道支援も滞っている。このため安全を求めて国外に避難する市民も多い」と解説する。  スーダンはアフリカでも労働運動や民主化運動が盛んで、19年には市民のデモで長期独裁政権を崩壊させた。「現在の内戦は、市民にとっては、独裁政権を支えた二つの軍事勢力の仲間割れだ。内戦後も『これは私たちの戦争ではない。軍は兵舎へ帰れ』などと各地でデモが起きたが、内戦が長引き、運動も行えなくなった」という。

◆欧米や中東は利害関係が…求められる「調停者」

 栗田さんは「国際社会の責任として、まずは停戦させることが必要だ」と述べる。今回の危機に対し国際社会は関心が低いといわれるが、過去三十数年間におけるスーダンでの内戦や紛争の背景には、豊富な地下資源や戦略的重要性を巡る先進国の思惑もあったといい、「今回、『忘れられた戦争』などと言うのはあまりにも無責任だ」と憤る。  停戦に向けて国際社会が圧力を強めることが必要だが、欧米や中東諸国には実はそれぞれ国軍やRSFとの利害関係や野心があり、それが解決を遅らせているという。「その点で日本には、中立・公正な調停者として果たしうる役割がある。まずは停戦を実現し、国民生活を安定させて、民主化プロセスも再開させるよう、働きかけを行ってはどうか。人道支援のための資金提供も率先して行ってほしい」

◆デスクメモ

 スーダンの避難民の数860万人は、ガザの総人口の約4倍に当たる。しかし、日本での情報量は4倍どころか、4分の1にも満たないだろう。内戦当事者の背後にUAEやエジプト、ロシアなどの存在が指摘される。さまざまな思惑に翻ろうされる弱者の存在を忘れてはならない。(北) 

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。