北朝鮮に拉致された疑いがある特定失踪者・中村三奈子さんの行方が分からなくなって4月6日で26年が経ちました。娘はどこでどうしているのか…その足取りを追い続けてきた母・クニさんに三奈子さんの同級生が協力。情報収集を行っています。
3月27日、新潟県長岡市の自宅で中村三奈子さんの母・クニさんが眺めていたのは、三奈子さんの高校卒業を祝う家族旅行で訪れた三重県・伊勢志摩で撮影した写真です。
【中村クニさん】
「船に乗って(英虞)湾を巡ったり、真珠の加工品を売っているところに行ったり。(三奈子さんは)良い思い出をつくってはいたと思う。さみしそうな顔をしている時間もなかったし。(行方不明の理由は)本当に考えられない」
写真に記された日付は1998年3月31日。この6日後…当時18歳だった三奈子さんは忽然と姿を消しました。
【中村クニさん】
「これがパスポートの申請書。これは三奈子の字だった」
行方が分からなくなった4月6日、予備校に入学金を納めに行ったはずの三奈子さんはその翌日、自ら申請していたパスポートを手に新潟空港から韓国の金浦空港へと向かっていたのです。
26年が経った4月6日、韓国へ入国した記録を最後に足取りの途絶えた娘を探し、新潟空港で韓国語も使いながらソウル便の利用者に声をかけ、情報提供を求めていたクニさん。
この時期になると、娘が当時考えていたことを知りたいという思いに駆られると言います。
【中村クニさん】
「高校のときに何を考えて、こんなことになったかと思っている。自分はあの子のことを思うだけで何もしてあげられない、情けないと思う」
三奈子さんの高校時代に少しでも手がかりはないかと、三奈子さんの高校の同級生などが立ち上がりました。
今年1月の初会合を皮切りに、3月にも同級生が集まり、手がかりとなる情報はないか当時の記憶をたどる作業を始めています。
【同級生】
Q.当時、生活パターンでおかしいと感じたところは?
「全然(なかった)」
【同級生】
「3年のとき(三奈子さんと)同じクラスだった人にメールで聞いてみたが『高校卒業後、しばらくして警察から連絡が来て状況を聞かれた』という話はあった」
【同級生】
「本人にはまだ連絡がなくて(警察の電話が)実家で終わっている可能性がある」
同級生の話の中にはクニさんも知らなかった警察の動きなどに関する情報も。
今後は三奈子さんと親しかった友人や硬式テニス部の仲間に話を聞いていくことを決めた同級生たち。こうした動きに呼応するかのように…
【長岡市 磯田達伸 市長】
「問題解決につながる情報をこの1年間、徹底的に市民の皆様の協力で集めたいと考えている」
長岡市の磯田達伸市長は今年を「情報収集の最後のチャンス」と位置づけ、市民への呼びかけを強化する方針を示しています。
【同級生 井口明彦さん】
「(行政の協力で)活動がしやすくなった。お母様をはじめ、ご家族の皆さん大変悩まれていると思うので、その悩みに寄り添ってできれば三奈子さんを探すところまでいって解決に結びつけたい」
長年にわたって市民集会の開催や各地での署名活動に取り組んできた母・クニさんは4月26日で81歳になります。
【中村クニさん】
「今年は同級生が声をかけてくださったので、この機会を本当に感謝している。少しでも三奈子に会えるのが近づいてくれればいい」
三奈子さんとの再会を願って、クニさんたちの活動は続きます。
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