市川修一さんと増元るみ子さんは、1978年8月12日、夕日を見に出かけた鹿児島県日置市の海岸から北朝鮮に拉致されました。

それから8月12日で46年となり、東京の有楽町駅前では、増元るみ子さんの弟の照明さんが街頭に立ち、「姉はことしで71歳になりますが、苦しく厳しい環境のなか、耐えて生きていると思っています。ふるさとの鹿児島の地でせめて最後の何年かは姉と一緒に暮らしたいです。日本政府には、拉致被害者の救出を強く求めます」と訴えました。

そして、被害者全員の一日も早い救出を日本政府に求める署名への協力を、通りかかった人たちに呼びかけていました。

拉致問題をめぐっては、岸田総理大臣が日朝首脳会談を実現させるため、総理直轄のハイレベルで協議を進めたいとしていますが、これまで目に見える成果は出ておらず、帰国を待つ家族は高齢化が一段と進む中で焦りを強めています。

照明さんは「毎年8月12日までには、何とか解決してほしいと思っています。この時期に帰国への道筋ができないと、被害者が、また北朝鮮で厳しい冬を迎えてしまいます。怒りに似たような悲しさがあります。姉は小さいときから、叱られた自分をかばって一緒に泣いてくれる本当に優しい人でした。日本政府の責任において、必ず取り戻してもらいたい」と話していました。

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