ロシアのウクライナ侵攻から2年半近くたつ。昨年2月に続き、記者は先月、避難民を受け入れているポーランドを訪れた。来年、太平洋戦争の終戦から80年を迎えるのを前に、戦争とは一体何か、肌感覚で知りたいと考えたからだ。ポーランドの日常は急場をしのぐ支援から、戦争が組み込まれた生活に変わっていた。(木原育子、写真も)

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記者が歩いたポーランド、ハンガリーのウクライナ避難民の支援現場 「心に影」「支援側も苦しい」


◆ユダヤ人迫害の痕跡が残る街で

 ポーランド第2の都市、クラクフから東へ約70キロのタルヌフ市。「ポーランドルネサンスの真珠」と呼ばれた旧市街は重厚な建物が並び、中世の趣が残る。  第2次世界大戦前は人口の25%がユダヤ人で、ナチスドイツによる「アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所」に向かう最初の列車が出た街としても知られる。戦跡など至る所に迫害の傷痕が今も残る。  ウクライナとの国境はさらに東へ車で3時間ほど。2022年2月24日にロシアの侵攻が始まると、人口10万人のタルヌフにも多くのウクライナ人が逃げ込んだ。  空き家だった古いビルもシェルターに。今年4月に大規模改修を終え、100人余が身を寄せる。

◆「もう、黙ってただ帰りを待つ心境ではない」

 「皆もう住み慣れているが、彼ら彼女らの未来にとって、戦争を終わらせなければならない限界の時期に差しかかっている」。シェルターの責任者アグネシュカさん(52)が声を落とす。女性警官として23年間、少年事件を担当する青少年局一筋で働き、退職したばかり。「子どもたちの心が心配だ」とぽつりと言葉がこぼれる。  シェルターの生活スペースを抜け、奥まった一室にたどりついた。女性たちの話し合う声が漏れ聞こえる。当初は集会場だったという部屋は、まるで「縫製工場」だ。部屋の中は戦時下の象徴のような濃緑色の物品であふれていた。

廃材などを利用して前線の兵士らに送る品々を作るウクライナ人の女性たち=ポーランド・タルヌフで

 エアコンはなく扇風機が同じ速度で首を横に振る。ミシンの前には噴き出す汗をぬぐいながら、ウクライナの女性たちが入れ代わり立ち代わり座る。ダダダダ…ダダダダ…とミシンの針が迷彩柄の布上を休むことなく走り回っていた。  「前線では若い兵士が戦っている。黙ってただ帰りを待つ心境ではもうない」。オクサナさん(45)の表情が引き締まる。

◆スマホで前線の兵士から受注…息子への仕送り感覚か

 この自発的なグループのリーダー的存在で、前線で戦う知人兵士らからスマホで「注文」を請け負う。試作を繰り返して縫製し、ウクライナ入りするNGOに運んでもらっている。  軍医として前線に入る息子を持つ母親のナタリアさん(47)と娘のレナさん(15)も加わる。「ウクライナに早く帰るためにもできることをしたい」

中世の趣が残るポーランド・タルヌフ。至る所にユダヤ人がかつて暮らした遺構が残る

 資金はなく、全てボランティア。廃品となったシートベルトを付けた持ち運びできる担架や、廃材の木の窓枠にネットを張って短冊に切った迷彩柄の布切れを編み込んだ敵の目を欺くセーフティーネット、蚊よけネット付き帽子、手りゅう弾や火薬を入れる腰に付ける小物袋…。戦場で必要とされる品々をできる範囲で製作。前線に口コミで広がり、今は注文が絶えない。  母親が息子に仕送りする感覚か。違うのは送り先が戦場、ということだ。

◆いつの日か、子どもたちにきれいなドレスを

 侵攻から2年半。ポーランド政府や自治体の財政支援も先細り、7月からはシェルターも有料に。食費と住居費、光熱費で6万円、子どもは1万8000円相当だ。  ミシンの手を止めることなく取材に応じたラリサさん(61)はウクライナ南部ザポリージャのユダヤ人学校の国語教師だった。「多くの教え子が戦場に。何もしないわけにはいかない」。ただ退職金も異国で暮らす資金に変わり、使い果たした。「思い描いた退職後の人生とは全く違った。まさか迷彩服を縫う日常とは思わなかった」

女性たちが製作し、戦地に送る品々

 部屋の壁には「ウクライナに栄光を」「助けてくれてありがとう」との言葉が添えられた国旗が並ぶ。  ひとたび起きれば、誰もが強制的に引きずり込まれる戦争。オクサナさんは言う。「子どもたちが『これ縫って』ときれいな布を持ってきてくれたけれど、作れていない。もうすぐ勝つから、あと少しで勝つからと言い聞かせるうちに時間がたってしまった」と一呼吸空け、「きれいなドレスを作ってあげられる日が訪れることが私たちの戦争が終わる時だ」と初めて作業の手を止め顔を上げた。

◆戦争とは何か、考え続けることは誰にもできる

 女性たちを見守っていたのはポーランドのヤギェウォ大学講師でルポライターの丸山美和さん(52)=栃木県出身=だ。侵攻後、何度もウクライナ入りし、人道支援を続けてきた。

一時帰国した時、ウクライナの現状について語った丸山美和さん=2月9日、都内で

 「直接的に誰かの命を奪う物品はないが、戦争に関わることに変わりはない」と複雑な胸中を吐露。一方で「戦争が終わった後のウクライナの人たちの笑顔が見たい。支える支えられるではなく、一緒に進んでいく視点が大切ではないか」と見据える。  日本からできることとは。丸山さんは「直接支援でなくても、戦争とは何か考え続けることはできる。それが最も戦争を遠ざけるすべになる」と言葉を続けた。    ◇

◆「欲しがりません勝つまでは」に通じる危うさ

 戦場で使う物品を作るウクライナ女性の姿について、「戦争論」などの著作がある哲学者の西谷修・東京外国語大名誉教授は、戦時下の日本の国策標語「欲しがりません勝つまでは」に通じる危うさに言及する。  「ポーランドの女性たちもそうだが、良心的であればあるほど、必死に『岸壁の母』(息子の復員を待つ母を歌った曲)になろうとする。苦しい現状はわかるが、総力戦の悲劇を知る日本の立場としては、それらを単純に肯定していいのだろうか」と問う。

中世の趣が残るポーランド・タルヌフ。ユダヤ人が迫害された傷痕が至る所に残っている

 考えるべきは誰が戦争に追い込んでいるかということだ、とみる。「戦争の主体は国家で、その代表が政府だ。ウクライナ政府はあらゆる手段で西欧諸国からの支援を求めているが、戦争を続けることで国民を保護する責任を果たせていないとも言える。ウクライナの人たちにそういった現状を強いている国家の姿勢も問われるべきではないか」  国外に逃れる難民は6月現在655万人。国内でも354万人が故郷を追われ、総人口に換算すると、4人に1人が避難する。今年上半期のウクライナの死亡者数は出生数の3倍近く。出産をためらう人も多い。  筑波大の中村逸郎名誉教授(ロシア研究)は「プーチンの目的はウクライナ併合ではなく、廃虚にすること。ロケット弾を撃ち込み、ウクライナ全土の30%に地雷が埋まっているといわれる。戦争が終わっても受難は続く」と説く。  ロシアの先行きも苦しい。「支援物資に不良品も多く、前線の武器弾薬の補給に影響を与えている。国営天然ガス企業ガスプロムも赤字が続く。国家財政の不安定化から抜け出せなければ、(崩壊した)ソ連と同じ道をたどる可能性がある」  今後、日本はどうしていくべきか。中村名誉教授は「電力不足の解消や地雷撤去の技術など、市民生活に関する支援が急務になる。日本政府は武器供与など戦況に関する支援ではなく、市民生活をベースにした支援でウクライナを支えていくべきだ」と強調した。

◆デスクメモ

 パリ五輪は盛況だった。チケット販売数は五輪史上最多を記録した。だが「平和の祭典」という理想からほど遠い形で終わった。ウクライナやガザ、ミャンマーで戦闘が続く。長崎の原爆の日の式典には米国などが欠席し、世界の分断を表した。祝祭の光に隠れた現実は限りなく重い。(北) 

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