日本でもなじみ深い論語や儒教で知られる孔子(紀元前551~前479年)が、故郷の中国で再び脚光を浴びている。封建主義の象徴として徹底的に否定された時期もあったが、欧米とは異なる中国伝統の価値観を重視する共産党指導部の方針に沿うこともあり、国を挙げて孔子の功績をアピールする。生誕地の山東省曲阜(きょくふ)は、偉大な先人の足跡をたどる観光客で空前のにぎわいをみせている。(曲阜で、河北彬光、写真も)

7月、大勢の観光客でごった返す孔子廟の大成殿

◆人口62万人の市に昨年は1000万人が来訪

 孔子をまつるため没後の紀元前478年に創建された「孔子廟(びょう)」が曲阜市中心部にある。多数の門をくぐり、本殿にあたる大成殿にたどり着くと、ひざまずいてお参りする親子らでごった返していた。男性ガイドは「最近は子どもに礼儀を身に付けさせるため、孔子の教えを学ばせる親が多い」と解説する。  孔子廟のほか、子孫が暮らした「孔府」、孔子をはじめ孔家代々の墓所「孔林」は三つ合わせて「三孔」と呼ばれ、曲阜を代表する孔子ゆかりの世界遺産だ。2023年はこの三孔などを訪れた観光客数が初めて延べ1000万人を突破し、過去最多となった。人口約62万人の曲阜市の規模を考えると破格の人数だ。  日本にとっても孔子は縁が深い。「温故知新」など今も使われる論語の一節は数多い。織田信長が曲阜の一文字を取り「岐阜」の地名に採用したとの説も伝わる。最近は新紙幣の肖像になった渋沢栄一の著書「論語と算盤(そろばん)」が注目を浴びるなど、孔子の影響は社会に息づく。ガイドによると、日本から曲阜を訪れる人も少なくないという。

◆「封建的」として否定、墓を掘り起こされた過去

大勢の人でにぎわう孔子廟。研修で来たとみられる子どもの姿も目立つ

 ただ三孔を巡ると、過去の「傷」が目に留まる。孔子廟に多数ある石碑には、不自然な亀裂と修復した跡がある。毛沢東主席時代の1960~70年代、文化大革命で破壊された痕跡だ。  儒教は封建的だとして標的になり、孔林では墓さえも掘り返されたという。ガイドに当時の様子を尋ねたら「前向きな話をしましょう」と繰り返し、間髪入れず話題を変えた。負の歴史には触れたくないようだ。  5月にフランスを外遊した習近平国家主席は仏紙フィガロへの寄稿で、孔子の言葉「君子は和して流れず」を引用した。ウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザへの攻撃など国際情勢に触れる中で「見識のある者は和を重んじるが、周囲に流されない」との文脈で使い、中国は中立的立場であるとアピールした。  これまでも習氏は曲阜を視察したり、孔子の生誕記念式典で講話をしたりと孔子を重んじることで知られる。儒教にちなみ、日本を含む各国政府関係者や専門家を招いて曲阜で開いてきた国際フォーラムは今年で10回の節目を迎えた。偉人の功績は中国や党の権威付けにも都合がいいようだ。

◆巨像や博物館、リゾート施設もオープン

生誕地の尼山に建てられた高さ72メートルの孔子の巨像

 孔子の子孫が多く、今も人口の5分の1が孔姓という曲阜市で、功績の発信は加速する。2019年、孔子の関連資料70万点を収蔵する「孔子博物館」がオープン。さらに中心部から南東20キロにある孔子の生誕地には、孔子にちなんだリゾート施設「尼山聖境」もできた。世界で最も高い72メートルの孔子像が圧巻だ。宿泊施設も備え、孔子の教えを学ぶ研修を受け入れる。  少子化による教育熱の沸騰もあり、遠方から子どもを参加させる親も少なくない。曲阜市で23年、こうした研修の参加者数は過去最多の延べ168万人に達した。地元政府の関係者は「日帰り客が多いのが課題だったが、研修で宿泊が増えれば地域経済も潤う」と孔子ブームの継続を願った。 

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