<連載 ミャンマーの声>
 クーデターを起こしたミャンマー国軍に音楽で抗(あらが)うパンクロッカーがいる。バンド「ザ・レベル・ライオット」のリーダーでボーカルのチョーチョー(37)だ。5月、民主派勢力へのメッセージを込めたアルバム「To… Dear Comrade」(親愛なる同志へ)を発表した。拘束や命の危険があるのに、なぜ抵抗を続けるのか。「こちら特報部」のオンライン取材に応じた。(北川成史)

◆ファシズムと戦う世界中の人々へ

ザ・レベル・ライオットの最新アルバムのチラシ

 赤く染めたモヒカンで、ステージでは激しく叫ぶチョーチョー。取材中は言葉を尽くして胸中を伝えようとする姿が印象的だった。  「ミャンマーだけでなく、ファシズムと戦う世界中の人々へのメッセージだ」。世界で強権支配が拡大する中、アルバムタイトルへの思いを語った。  タイトル曲ではこう歌う。「親愛なる同志! 正義のために戦おう。ファシストになるな。ファシズムと戦っている間に」  2021年2月のクーデター後、国軍は市民の抗議デモを弾圧した。民主派は武装組織「国民防衛隊(PDF)」を結成し、少数民族とも連携しながら抵抗を続ける。人権団体によると、国軍に殺害された市民は5600人を超える。一方で抵抗勢力側の過剰な力の行使も一部で伝えられる。  チョーチョーは言葉を強める。「国軍を倒すことだけが俺たちの目的ではない。ファシズムのイデオロギーを破壊したいんだ」

◆「セックス・ピストルズ」に衝撃受け

 チョーチョーがパンクに触れたのは10代半ばのころだった。闇市場でセックス・ピストルズなどのDVDを手に入れた。当時、軍政下で検閲制度があり、表現の自由は制限されていた。束縛に抗う激しい歌詞やステージは衝撃的だった。  20歳だった2007年、「サフラン革命」と呼ばれる民主化運動がミャンマーで広がり、チョーチョーもデモに参加した。だが、国軍は銃器を使って抑え込み、日本人ジャーナリスト長井健司を含む多数の死者が出た。  「目の前で人が撃たれ、崩れ落ちるのを見た。恐怖とともに強い怒りを覚えた」。チョーチョーは振り返る。「サフラン革命が弾圧された後、怒りを解き放つために結成したのがザ・レベル・ライオットだ」

路上に立ち、クーデターへの抗議の意志を示すチョーチョー(最前列左)ら=Kaung Kaung撮影

 2011年、軍人に国会の議席の4分の1を与えるなど国軍を優遇する形ながら、ミャンマーは民政移管した。  「100%の民主主義ではなかったけれど、その後の10年は自分の人生で最も幸せな時代だった」とチョーチョー。しかし、クーデターが終止符を打った。

◆未来を担う世代のため「何かをしなければ」

 「朝、自宅を訪れた友人にクーデターが起きたと知らされた。30分間、言葉が出なかった。若者たちの未来はどうなるのか。友人が帰ると一人で泣いた」  それでも「何かをしなければ」と、街頭デモに立った。国軍がデモの弾圧を強めた後も、スタジオを転々としながらレコーディングをし、2021年8月、アルバム「ONE DAY」を発表した。タイトル曲で訴えた。「いばらの道を残してはいけない。未来を担う世代のために。力を合わせて変えるんだ。弾圧が消え去るその日に向けて」  発表後、4人組のバンドからドラムスが脱退。PDFに入り、国軍と戦っている。新メンバーを加えて制作されたアルバムの「同志」へのメッセージは、元の仲間にも向けられている。

◆「ロックは生き方、自由と抵抗の精神」

 パンクについて、チョーチョーはこう言い表す。「音楽以上のもの。自由で抵抗の精神を持った生き方だ」。それは権威におもねらず、自ら弱者に手をさしのべる姿勢にも表れている。  クーデター以前から、チョーチョーらは貧困層への食料配布「フード・ノット・ボムズ」(武器ではなく食べ物を)を続けてきた。交流のあったインドネシアのパンクスらの活動に刺激を受けて取り入れた。

「フード・ノット・ボムズ」の活動をするチョーチョー(中央左)ら=Kaung Kaung撮影

 「とても重要な活動になっている」とチョーチョーは強調する。「クーデター後、経済が崩壊し、貧しい人々はいっそうの困難に直面している。食べ物と一緒に希望も配っているんだ」

◆音楽やアートでも軍と戦えると示したい

 ただ、音楽を含め、現状に異を唱える活動は、国軍に目を付けられる恐れがある。実際、軍政に批判的なアーティストたちが多数逮捕されてきた。チョーチョーは「これまで幸運だった」と自身を顧みる。  「鏡の前で自分自身に問いかける。『逮捕され、殺されるかもしれない。準備はいいか』。俺は答える。『イエス』と。たとえ捕まる日が来ても、その時まで自分が正しいと思ったことを続けたい」  あくまで、自分を貫きたいと願う。「銃だけではなく、音楽でも軍と戦えると示すんだ。軍は俺たちを殺せても音楽やアートは消せない」

クーデターへの抗議の意を示す3本指を掲げるチョーチョー(中央)ら=Kaung Kaung撮影

 そして、こう力を込める。「俺は死ぬまで自由でいたい。自由は人から借りるものじゃない。自分でつくり出すものだ」

◆世界も日本も「ミャンマーから目を離さないで」

 クーデターから3年半余り。国際社会の目はミャンマーより、ウクライナやパレスチナ自治区ガザでの戦闘に向いている。チョーチョーは欧州などで音楽活動をしながら、ミャンマーへの関心を高められないかと模索している。  日本にもメッセージを送る。「ミャンマーで何が起きているか、目を離さないでほしい。日本の人々は正義と人権を尊重しているはず。世界の一部に不正義があるなら、ともに戦ってほしい」(敬称略)

◆デスクメモ

 世間的なパンクの印象は、奇抜な服や激しい音を好むアウトサイダー。だが、1990年代にフェミニズムと結び付いた運動「ライオット・ガール」のように、社会の抑圧に問題意識を抱き、行動にも移す。命を賭して強権に抗うチョーチョーさんの生き様はパンクの魂そのものだ。(岸)    ◇

◆川上准教授「社会への憤りを言語化して発する、それがパンク」

 ザ・レベル・ライオットの日本版CDはパンク専門レーベル「BRONZE FIST RECORDS」(大阪府松原市)が手がける。経営する高崎英樹(54)によると「ONE DAY」は約1200枚を売り上げ、新作も好調。アジアのパンクバンドでは異例の売れ行きだという。

最新アルバム「To… Dear Comrade」

 高崎は「クーデター後、危険を顧みず活動を続ける姿が心を打つのだろう。私が10代でパンクに出合ったころ、思い描いていた理想のバンドの形を具現化している」と評価する。  パンクは1970年代、不況下の英国でセックス・ピストルズが登場し、一大ムーブメントになった。反体制的な音楽が不満を抱える若者らを引きつけた。  その後も、商業主義を拒みつつ政治性を深め、デモを含めて直接的な行動に移す「クラス」のようなバンドも現れた。チョーチョーは取材で「クラスに影響を受けた」と話した。  パンクを研究する倉敷芸術科学大准教授の川上幸之介は「社会に対する不平や憤り、怒りを言語化して発する。根底にマイノリティー擁護や相互扶助の思想を持ち、ありのままの自分を肯定し表現する。そんな音楽がパンク」と説明する。

パンクの歴史や魅力について話す倉敷芸術科学大の川上幸之介准教授

 川上は「ザ・レベル・ライオットはパンクの精神を体現し続けている。独裁体制が長いミャンマーで、国家を信じられず、自分たちで助け合うしかない社会環境も背景にある」と指摘し、こう語る。  「日本は音楽と政治を分けて考えがちだが、ザ・レベル・ライオットの音楽は、政治と生活がつながっていることや異議を申し立てる大切さを教えてくれる」(敬称略) 

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