◆ベトナムで被爆者が絞り出した言葉
2008年に広島・長崎の被爆者らとベトナムのダナンを訪れ、枯れ葉剤被害者の方々と交流をした。 枯れ葉剤の影響でまひや奇形、障がいがある状態で生まれた子どもたちの姿に、同じように兵器の影響で苦しんできた自分たちの姿を重ねながら、被爆者のひとりが絞り出すように言った言葉をよく覚えている。2008年、ベトナム・ダナンで開催された枯れ葉剤被害者と被爆者の皆さんとの証言交流会
「あの時、沖縄の米軍基地から『北爆』が行われていたのを知っていたのに、自分はなぜもっと反対しなかったのか。戦争を早くに止められていたら、ベトナムの人たちがここまで苦しまなかったかもしれないのに」 自分たちの国が平和でも、他の国では戦争が起きているし、それどころか自分たちの国が加担していることさえある。私たちはそんな世界にずっと生きている。◆コスタリカ 平和のために努力
平和はぽっと降ってくるものではない。ぼうっとしていたら零れ落ちていく。 今年の6月に初めて訪れたコスタリカは日本と同様に平和憲法を持つ国だが、非武装平和主義を貫くためのたゆまぬ努力があった。2024年6月、コスタリカのプンタレナスで国連平和大学とイベントを共催。外務副大臣の参加もあった(左から2番目)
冷戦の最中の1986年の大統領選では、アメリカから再軍備の圧力がある中でもコスタリカの人たちは非武装を貫くことを提唱する大統領を選び、平和を希求する意思を示した。2010年に起きたニカラグアとの国境紛争の際には、コスタリカは国際司法裁判所にニカラグアを提訴し、国際法に解決を委ねることで武力衝突を回避した。 法政大学の前総長の田中優子さんにピースボートにご乗船いただいた際の江戸時代の話も思い起こす。江戸時代の日本では、戦争を起こさないということが社会の是であったために、学問、外交、ものづくりなど、さまざまな分野で戦争を防ぎ平和を維持することを目的とした政策があったことを教えて下さった。平和というのは国内政治や国際法、民主主義をいかして常に主体的につかみ続けるものなのだと改めて思った。◆日本では戦争の準備が着々と
今の日本で平和をつかみとる努力はなされているだろうか。政治家は本気で戦争を回避しようとしているだろうか。 今年の夏、『戦争ではなく平和の準備を』(地平社)という本が出版された。私もメンバーとなっていた平和構想研究会での議論がもとになっているのだが、戦争の準備が着々と進む日本の様子をあらわにしつつ、対抗する言論として平和の準備の必要性を論じ、すでにある実践も数多く紹介している。 平和国家を掲げる日本は、非軍事原則を貫きながらの国際協力を模索し、戦略的に軍事転用を抑制してきた技術も多くある。その姿が、今大きく変わろうとしていることがこの本を読むとわかる。◆新総理に求める「戦争のない世界」
このコラムが世に出るころには自民党総裁選が終わり、事実上の次の総理大臣が決まっていることだろう。 私は新しい総理大臣に、すべきは戦争ではなく平和の準備だと訴えたい。日本の近代史を振り返れば、急激な軍備拡張は戦争に帰結してきた。今自民党が進めようとしている軍拡政策は、戦争への備えでしかない。いわゆる戦後80年を来年に控え、私たちが望んでいるのはそんなことではない。枯れ葉剤被害者支援センターでの交流会の様子=2010年、ベトナム・ダナンで
私たちがみたいのは、戦争が当たり前の世界ではなく、戦争のないことが当たり前の世界だ。新総理にはそれを強く求めたい。 ◇ ◇ <世界と舫う> 「舫(もや)う」とは船と船、船と陸地をつなぎとめること。非政府組織(NGO)のピースボートで、被爆者と世界を回る通称「おりづるプロジェクト」や若者向け教育プログラム「地球大学」などに携わり、船に乗って人々がつながる手助けをしてきた畠山澄子さんが、活動を通じて深めた見聞をもとに、日々の思いをつづります。畠山澄子(はたけやま・すみこ) 埼玉県生まれ。国際交流NGOピースボートの共同代表。ペンシルベニア大学大学院博士課程修了(科学技術史)。専門は核のグローバル史、科学技術と社会論。
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