広島と長崎に原爆が投下されてから9年後の1954年、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が、太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被ばくしました。
これをきっかけに、日本では原水爆禁止運動が高まり、2年後の1956年、被爆者の全国組織として日本被団協が結成されました。
結成の宣言で、「人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません」と核兵器廃絶を訴えました。
日本被団協は、原爆被害の実相を伝えるため積極的に海外に代表を派遣し、1982年には代表委員の山口仙二さんが、国連の軍縮特別総会で被爆者として初めて演壇に立ちました。
14歳の時に長崎で被爆した山口さんは、やけどを負ったみずからの写真を示しながら、「ノーモア ヒロシマ ノーモア ナガサキ ノーモア ウォー ノーモア ヒバクシャ」と訴え核兵器の廃絶を迫りました。
その後も、日本被団協は、国連や世界各地で原爆の写真展を開くなど地道な活動を続け、「ヒバクシャ」は世界に通じる言葉となりました。
原爆投下から60年となる2005年にはノーベル平和賞の有力候補として挙げられ、受賞は逃したものの、ノーベル委員会の委員長が、「長年、核廃絶に取り組んできた」と敬意を表しました。
2016年、原爆を投下したアメリカのオバマ前大統領が現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問した際は、代表委員の坪井直さんが「原爆投下は人類にとって不幸な出来事だった」と直接伝えました。
日本被団協は、核兵器廃絶に向けた国際的な取り組みにも関わり、2017年に採択された核兵器禁止条約の交渉会議では、およそ300万人分の署名を集めて目録を提出し、条約の採択を後押ししました。
条約の前文には、「被爆者が受けた容認し難い苦しみに留意する」、「被爆者が行っている努力を認識する」として、被爆者に寄り添うことばが盛り込まれました。
そして、すみやかな核兵器の廃絶やすべての国が核兵器禁止条約に参加することを求める「ヒバクシャ国際署名」を続け、最終的に1370万人分あまりの署名を国連に提出しました。
近年は新型コロナウイルスの影響や被爆者の高齢化で被爆体験を伝える催しの中止や縮小を余儀なくされていますが、オンラインを活用して被爆者の証言を伝える取り組みを進めているほか、おととし8月に開かれたNPT=核拡散防止条約の再検討会議で被爆者がスピーチを行うなど、核兵器の恐ろしさや悲惨さを証言し、核廃絶の必要性を世界に訴え続けています。
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