長崎の被爆者で日本被団協の代表委員の田中重光さんは12日午前、自宅でノーベル平和賞受賞の決定を知らせる新聞を読んで、喜びをかみしめていました。
田中さんは「きのうはうれしかったものの、まだ『本当だろうか』と信じられない思いでしたが、一夜明けて実感がわいてきました。世界で核使用の危機が迫っているなかでの被団協の受賞決定は核保有国の政治家に今の状況でいいのかどうかを考えてもらうためだと思います。年をとり、活動が難しい場面もあるがこれからも真心で訴えていけば伝わると信じています」と話していました。
また、昨夜からお祝いのメールが10件ほど届いていて「おめでとうございます。これからも頑張ってください」「とても誇らしいです」などというメッセージが寄せられているということです。
取材の最中にも、被爆者で別の被爆者団体の会長の朝長万左男さんから電話があり「おめでとうございます。お祝いの花を贈ります」と伝えられると、田中さんは「ありがとうございます。皆さんと一緒にもらった賞です」と応じていました。
午後には、ともに核兵器廃絶を訴えながらも、31年前に道半ばで亡くなった被爆者の渡辺千恵子さんの墓がある長崎市内の寺を平和活動を行ってきた被爆者などの仲間と訪れました。
田中さんは墓に手を合わせてノーベル平和賞の受賞が決まったことを話しかけていました。
田中さんは「渡辺さんは被爆者運動が始まるきっかけとなった人です。渡辺さんには、被団協が運動を始めてから68年となったいま、やっと受賞することと、そして感謝していることを伝えました」と話していました。
また、いっしょに墓を訪れた渡辺さんの体験を伝える活動を続ける被爆者の長野靖男さんは「千恵子さん、ノーベル平和賞を受賞しますよ。天国でこのニュースを見て大喜びしている様子が目に浮かびます。『未来は明るい』という千恵子さんのことばを胸に命あるかぎり頑張ります」と墓に向かって語りかけていました。
そして、墓参りをした全員で渡辺さんの半生を歌った合唱曲「平和の旅へ」を歌いました。
このあと田中さんは日本被団協の記者会見に代表委員の1人として、長崎市内からオンラインで参加しました。
この中で「きのうは最高の日でした。10数年間ノミネートされ続けてきて、諦めかけていましたが、受賞が決まって本当に良かったです。被爆者の先輩たちが差別や偏見に負けず、国内外で語ってくれた証言がだんだん浸透していきました。先輩たちに感謝の思いがありますし、それを受け継いできた私たちは正しい道を歩んできたのだと感じます」と涙ぐみながら話し、話し終わったときにはハンカチで目頭を押さえていました。
田中さんは今月16日に修学旅行で長崎を訪れる小学生たちに講話を行う予定で、今後も体が動くかぎり活動を続けていきたいとしています。
田中さんは会見のあと「力のかぎり活動してきましたが、まだ核兵器はなくなっていません。今後どうやって活動を受け継いでいくかが大切で、そのためにも地道に修学旅行生などへの講話を続け、1日に1回でもいいから平和の大切さについて考えてほしい」と話していました。
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