パリ五輪開幕まで3カ月を切った。徐々に祝祭ムードが高まる中、華やかな開会式が行われるセーヌ川の水質汚染が注目されている。首脳らが自ら「泳ぐ」と約束して懸念払拭を図るが、トライアスロンなどの競技も行われる場所。東京五輪で批判された「アスリートファースト」の軽視が、繰り返されかねない。コロナ禍で強行された大会で明るみに出た五輪の本質は、変わっていないのか。(木原育子、西田直晃)

◆開会式で100隻超のボートが川下りの演出

 「セーヌ川は今、世紀の大掃除中。五輪をやる以上は恥ずかしくないようにと、パリは必死です」。そう話すのはパリ在住30年以上のジャーナリスト、山口昌子氏だ。

パリのエッフェル塔(資料写真)

 世界遺産にも登録されているセーヌ河岸は五輪の見せ場。開会式では、選手を乗せた100隻以上のボートがエッフェル塔やルーブル美術館を横目に6キロほど下る演出がある。開会式が、競技場以外で実施されるのは夏季五輪では初めて。競技でもトライアスロンやオープンウオータースイミングなどの会場になる。  山口氏によると、現在は川に機械が入り、ごみ拾いなどに大量の清掃員が投入されている。急ピッチで下水道工事が進むが、今も大雨の際は大量の汚水がセーヌ川に流出する事態になっているという。

◆水質悪化で1923年から遊泳禁止に

 昨夏のオープンウオーターのテスト大会を兼ねた大会は中止。国際環境NGO団体「サーフライダー財団」も「競技実施には危険」との見解を発表した。「市民は本当に泳げるのか、懐疑的な思い半分、ひとまずは静観といったところです」と山口氏。  そもそもセーヌ川は19世紀ごろまでは遊泳できたものの、水質悪化で1923年から禁止に。汚染はさらに進んだ。90年に当時のシラク市長(後の大統領)が「セーヌ川で遊泳」を掲げて下水道網や排水処理施設を整備したが、泳げるまでには至らなかった。  にもかかわらず、五輪を招致したイダルゴ市長は2016年、遊泳場を25年以降に開設すると宣言。五輪開催の「レガシー」にするとした。水質改善の証明として「川で泳ぐ」とも約束。マクロン大統領も泳ぐ考えを表明している。

◆「東京五輪をほうふつとさせる」

 そんな現状に「東京五輪をほうふつとさせる」と話すのは、元東京都職員で東京湾の水質監視を担った藤原寿和氏だ。  東京23区の多くの地域は、台所やトイレの生活排水を、雨水と共通の下水管で集める「合流式」。大雨の時などは雨水が集中して処理しきれず、未処理のまま東京湾に直接放出される。悪臭や水質悪化が指摘されたが、五輪は強行された。

2020年東京五輪・パラリンピックのマスコット「ミライトワ」と「ソメイティ」

 藤原氏は「すぐに人体への影響はなくても、いろんな有害物質が溶け出していた。パリも事前調査で安心安全と言い切れない中、突き進むのは選手の命をないがしろにしている。健康を無視した姿勢は五輪憲章にも反し、スポーツの祭典とは言えない」と憤る。  一橋大の鵜飼哲名誉教授(フランス文学・思想)は「東京五輪もパリ五輪も、環境に優しいと見せかける『グリーンウォッシング』。市長らの泳ぎに行く宣言は愚劣極まりないパフォーマンス」と批判する。「セーヌ川で泳げた頃はフランスが植民地帝国として大繁栄していた時代。ヨーロッパ系フランス人の一部にとって古き良き時代の象徴で、ノスタルジーに浸りたい思いがある。東京が(五輪を開いた)1964年をもう一度と、過去にすがり五輪開催にひた走った状況とも重なる」

◆猛暑での開催も再び課題に

 心配事はセーヌ川の水質だけにとどまらない。  まず、東京五輪でも猛威を振るった酷暑。2019年の東京五輪のテスト大会では、体調不良を訴える選手が続出し、マラソンなどの開催地が札幌に変更された。今回のパリも19年7月、観測史上最高の42.6度を記録。五輪期間中の7月下旬〜8月上旬は例年、ほとんど雨が降ることがなく、長い日照時間と強い日差しへの対応が求められる。

東京五輪に合わせ、札幌市のマラソンコース沿いに設置されたモニュメント=2021年7月撮影

 「酷暑なのに時期を変えないのは、放映権を持つ米NBCテレビが、人気プロスポーツの試合日程との重なりを避けているためだ」と指摘するのは、神戸親和大の平尾剛教授(スポーツ教育学)。「アスリートの体調ではなく、経済的理由が優先されている。選手たちは暑さを乗り越えるのに懸命だが、本来ならボイコットも辞さない勢いで時期の変更を訴えてもいい」  さらに、開会式の会場を競技場外にしたことで、警備上のリスクが増した。ロシアのウクライナ侵攻やガザ危機は政情不安を招き、国内でのテロ警戒のため、観客数は当初の約60万人から約30万人に半減。マクロン大統領は今月中旬、開会式の安全面に脅威が生じた場合、パリ郊外の競技場に会場を移す可能性に言及した。  「平和の祭典」と呼ばれる五輪だが、戦禍がやむ気配はない。それどころか、開催にひた走るパリでは、東京五輪のために明治公園のホームレスが排除され、都営霞ケ丘アパートの住民が立ち退きを迫られた事態が繰り返されている。

◆移民や野宿者を追い出す?

 市民団体「反五輪の会」に現地から寄せられた情報によると、住居のない移民や野宿者が「交通の妨げ」「洪水の危険性」などを理由として、パリ郊外に向かうバスに乗せられており、五輪開幕までに2000人に達する見込みという。  同会メンバーの吉田亜矢子氏(41)は「理由は表向きで、実際には五輪が前提にある排除だ」と声を落とす。「観光客の目を意識しているのか、トンネルでテントを張って暮らしているような人が追い出されている。五輪開催のたびに各国で行われてきた」

フランス・パリの凱旋門(資料写真)

 これらの問題点からは、東京でも焦点が当たった五輪の本質が浮かぶ。1984年のロサンゼルス五輪以降に強まった「商業主義」の流れだ。前出の平尾氏は「五輪に乗じ、金もうけしたい勢力にとっては、問題が大きければ大きいほど都合がいい。例えばセキュリティーが大変なら、警備業界が経済的利益を得ることになる。他の業界も同じ。祝い事だからと、何が何でも実施するために突っ走りがちになり、アスリートのための五輪とは程遠くなってしまった」と嘆く。  「選手や指導者、競技団体幹部の誰かが『私たちの五輪を取り戻せ』と主張するべきだ。内側から声を上げなければ、4年に1度、ズルズルと同じことが繰り返されてしまう」

◆前回開催国、日本の責任は

 スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏も「選手を見せ物におとしめる開会式は愚の骨頂。式典や競技はパリ観光の道具ではない。商業化が極まり、五輪はもう終わりだ」と憤る。  谷口氏は「前回の教訓を伝えなかった日本の責任」にも言及する。コロナ禍でも無観客で強行し、多額の公費を注ぎ込んだ挙げ句、森喜朗氏の女性蔑視発言などゴタゴタを連発した。閉幕後も汚職・談合事件が相次いだ。  「経済的な国家戦略と結び付く五輪に意味はない。このままではスポーツは死んでしまう。東京五輪は評価できないが、せめて日本は反面教師として、政治的な動機を排除し、スポーツの意義を一から問い直す検証を残すべきだった」

◆デスクメモ

 東京五輪の3カ月前、焦点はコロナの緊急事態宣言下でも開催できるかだった。世論は否定的だったが、混乱の中で強行されたのは周知の通り。パリ五輪も、5月8日から聖火リレーが始まる。スポンサー広告の大型車は今度はどうなるのか。巻き戻した映像を再生するような感覚だ。(本) 

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