紙の建築、という独自の構造を開発し、美しい建築物の数々で世界にその名をとどろかせる建築家・坂茂氏。実はもう30年以上も災害支援を続けている。「地震で人が亡くなるのではない。建物が崩れて人が亡くなる。だから建築家の私たちに責任がある」との信念からである。

今年の高松宮殿下記念世界文化賞の建築部門を受賞するのは坂茂さん。受賞者発表の記者会見で「建築家は特権階級の仕事をすることが多いが、災害にあわれて家を失った方々のため、世界のために活動を続けていきます。この賞がそれをさらに勇気づけてくださった、と考えています」と語った。その言葉を裏付けるように、坂氏は実に足繁く被災地を訪れている。

瓦の再利用について説明する坂さん 石川・珠洲市
この記事の画像(14枚)

9月、坂氏の姿は能登の珠洲市にあった。地震の被害にあった建物の公費解体の申請締め切りが年末に迫り、すべてが取り壊されてしまう前に有効利用できるものを救おうと活動しているところだった。

能登瓦を救え!

「公費解体すると全部ゴミになって廃材になってしまう。伝統的なものを何とか再利用したいと考えて、能登全体で瓦集めをやっています。瓦屋さんが廃業してしまったので集めるしかないのです」という坂さん。

貴重な能登瓦

地震で本堂が倒れてしまった寺の屋根から剥がした能登瓦は、坂さんが手がける仮説住宅の集会所の屋根などに再利用されている。

“仮設”住宅はぬくもりのある空間 

坂さんはこの日、仮設住宅にも足を運んだ。既に被災者が入居しているが、そこには被災地でよく見るプレハブの仮設住宅とはまったく異なるぬくもりのある空間が広がっていた。

内装は木目で、差し込む太陽光線が柔らかに感じられる。また、住民と話す坂さんのまなざしはとてもやさしく、「お困りのことはありませんか?」と寄り添う姿勢がとても印象的だった。「ここにはずっと住めるんですよ」と坂さん。作っては壊す仮設住宅は終わりにすべきだ、と考えている。

珠洲市見附島の仮設住宅の住民と

こうした災害支援をライフワークとするようになった坂さんに少年時代からこれまでの歩みを聞いた。

「魔法のよう!」少年時代の夢は大工さん

坂さん:
母がファッションデザインをやっていて、うちの木造の家を大工さんが改装して、縫い子さんの寮みたいになっていました。機械を使わずに手だけで家具を作ったり、本当に魔法のようで、僕は木の匂いも好きだったので、将来は大工になりたいと思ってました。

小学校5年 ラグビー部の仲間と(後列左端が坂さん) Courtesy of Shigeru Ban Architects

中学のときに家を設計して模型を作るという夏休みの課題があって、それが学校に飾られて、将来は建築家になろうと思いました。ただ、その頃、ラグビーも真剣にやっていたので、将来は早稲田大学で建築とラグビーを両立させたいと考えていました。

アメリカで磨いたプレゼンテーション能力

高校ラガーマンの聖地・花園で負けたこともあり、ラグビーの道はあきらめ、建築雑誌で見たアメリカの建築家ジョン・ヘイダックが教えるクーパー・ユニオンに魅了され、アメリカに行く道を選んだ。

ロサンゼルス留学中(右端が坂さん) Courtesy of Shigeru Ban Architects

坂さん:
語学は大変でしたが、模型作ったり図面作ったりするのは得意だったので苦労はしませんでした。アメリカは民族や文化が異なる人たちが多く、理論立てて、人を説得するプレゼンテーション能力が問われ、磨かれました。

大切な木の代わりに・・・紙管(しかん)の始まり

帰国し、1985年に事務所を立ち上げ、展覧会のキュレーターの仕事をする中で、坂氏の代名詞となる紙管(しかん)の開発を始めた。

坂さん:
展覧会の企画でフィンランドの建築家アルヴァ・アアルト展に関わることになり、本来アアルト氏が多様する木を使って展覧会が終わって捨ててしまうのはもったいないので、大切な木に代わる材料として紙管(しかん)を使いました。僕は物を捨てるのが苦手で事務所に置いてあったファックスなどの芯を利用したのです。バブルの時期で、まだ世の中が環境とかエコロジーとか言う前から開発を始め、この展覧会で使ったことが大きなきっかけになりました。

アルヴァ・アアルト展 Alvar Aalto Exhibition Photo: Shimizu Yukio(清水 行雄) 
Courtesy of Shigeru Ban Architects

坂茂の名前が大々的に世に知れたのは2000年。ハノーバー国際博覧会日本館を紙管で作ったのだ。このとき協力を仰いだのがドイツ人建築家フライ・オットーさんだった。

坂さん:
学生のときからオットーさんに憧れていて、雲の上の方でしたが、日本館の設計をすべて再生紙の紙の筒で作るという大胆な発想を提案し、彼のおかげで超法規的な建築を実現することが出来ました。それをきっかけにずっと色々な仕事をさせていただいたので、建築家としての僕の師です。

『ハノーバー国際博覧会 日本館』2000年 平井広行撮影 Courtesy of Shigeru Ban Architects

弱い材料でも大きな空間が作れる

坂さん:
僕は人のまねをしたり、流行に乗ることが性格上非常に嫌いだったので、流行と全く関係なく仕事をしてる数少ない建築家だったオットーさんが好きでした。なぜ時代の影響を受けないかというと、自分独自の材料や構造システムの開発をしていて、自分独自の建築が造れるからなのです。

僕が紙管に出会った時に、これは自分独自の構造システムになるんじゃないかと直感して、開発を始めたのですが、最小限のエネルギーや材料で最大限の空間を造る、弱い材料でも弱いなりに使うことによって大きな空間が造れるという同じような考え方を持っていたのでコラボレーションができたのだと思います。

フライ・オットー氏と 1998年  シュトットガルト郊外のスタジオにて Courtesy of Shigeru Ban Architects

事務所を立ち上げて10年して、今やライフワークとなっている被災者支援に目が向いた、という。

坂さん:
周りが見えるようになり、建築はあまり社会の役に立ってないことに気が付きました。政治力や財力がある人たちがモニュメンタルな建物を造り、社会に自分の力を見せる、ということに建築家は歴史的にも力を貸してきました。

僕は決してモニュメントを造るのが嫌ではないのですが、特権階級の人の仕事だけをすることにむなしさを感じ、自分の経験や知識で避難所とか仮設住宅で苦労する災害で家を失った人たちの住環境を改善するのも建築家の役割じゃないか、とボランティアの仕事をしようと思ったわけです。

アポなしでUNHCRに直談判

具体的に動くきっかけとなったのはルワンダの内戦だった。

坂さん:
週刊誌で、大量の難民が貧しいテントで震えているキャンプの写真を見て、シェルターを改善すべきだと思って、国連難民高等弁務官事務所に手紙を書きましたが、何の返事もないので、アポなしでジュネーブの本部まで訪ねて行きました。紙管のシェルターの提案をしたら、すごく気に入ってもらって採用してもらったのです。

『国連難民高等弁務官事務所用の紙のシェルター』1999年 ルワンダ Photo: Shigeru Ban Architects

翌1995年、日本は阪神・淡路大震災に見舞われた。

紙の建築でもパーマネントになる

坂さん:
新聞で神戸の長田区のたかとり教会に多くのベトナムの難民たちが集まってることを知りました。日本の被災者よりももっと大変な生活をしてるのでは、と思って訪ねて神父さんに「紙の建築で仮設の教会を造りましょう」と言ったのですが全く信用してもらえませんでした。諦めきれずに毎週新幹線の始発で通って、ベトナムの人たちと親しくなって家に行ってみたら公園でテント生活をしていたので、学生を集めて、ビールケースの基礎と紙管の壁と屋根で仮設住宅を造りました。それで神父さんの信用を得て、コミュニティセンターとしての紙の教会を造りました。

『紙のログハウス 神戸』1995年  平井広行撮影 Courtesy of Shigeru Ban Architects

坂さん:
教会は復興のシンボルになり、コンサートや結婚式にも使われて、10年後に建て直す時に台湾で大地震が起こったので移設して寄付しました。今では台湾でパーマネントな教会兼コミュニティセンターとして使われています。たかが紙で造っても皆さんが愛してくれさえすればパーマネントになり得るのです。

Paper Church Kobe Hiroyuki Hirai

坂さん:
99年はトルコ、2001年はインドから仮説住宅の依頼があって、自分が建築家として生涯やっていくべき仕事だと感じて、NPO法人のボランタリー・アーキテクツ・ネットワークを設立しました。世界中どこでも紙管は手に入るので、地元の学生と一緒に仮設の住宅や教会を作っています。

おととしからウクライナ支援も始めています。僕らは2004年の中越地震から避難所に間仕切りを作る活動を始めていますが、それと同じものをヨーロッパ中に散らばってる難民たちのために、ポーランドを中心として、ウクライナ、スロバキア、ベルリン、パリでヨーロッパの仲間と一緒に作りました。リビウには病院を作ります。

『ウクライナ難民支援 / 避難所用・紙の間仕切りシステム』2022年 Photo: Jerzy Latka 
Courtesy of Shigeru Ban Architects

こうして世界各地の現場に飛び、被災者支援を続けてきた坂さんだからこそ日本の避難所のあり方に疑問を呈する。

めざせイタリア! 日本の避難所改革を提言

坂さん:
日本では避難所の運営は、被災者である地元の人たちがしていますが、これはおかしいです。食事が冷たいものだけのところもあります。イタリアでは、避難所の運営は普段から有償でスタッフを教育し、災害が起きるとその人たちが有償で被災地に送られていく。避難所にはキッチンカーが来て、食堂が仮設で設営されて、おいしい温かい食事がふるまわれるのです。ボランティアの人たちにも「どうぞ食べていってください」と声がかかります。こうしたスタンダードが統一され、全部パッケージになっているのです。これを日本で実現しないといけないと思っていて、何とか新たな日本の避難所のシステムを築き上げたいと考えています。

日本中の被災地を回る坂氏 石川・珠洲市

坂さんは内閣府に「イタリアに一緒に視察に行こう」と呼びかけているという。防災庁の設置をめざすのであれば、ぜひ日本政府に、世界の被災地事情を知る坂さんの提言に耳を傾けてもらいたいものである。

第35回高松宮殿下記念世界文化賞」の授賞式は11月19日、東京都内で開催される。

坂さんと共に世界文化賞を受賞したソフィ・カルさん(絵画)、ドリス・サルセドさん(彫刻部門)、マリア・ジョアン・ピレシュさん(音楽部門)、アン・リーさん(演劇・映像部門)のみなさん5人をフィーチャーした特別番組が2つ放送される。

「世界文化賞まもなく授賞式SP」
11月19日 14:45-15:45 フジテレビ系列(一部の地域をのぞく)

「第35回高松宮殿下記念世界文化賞」
12月13日 24:55-25:55 フジテレビ(関東ローカル)
12月14日 10:00-11:00 BSフジ

「高松宮殿下記念世界文化賞」の公式インスタグラムとフェイスブックはこちらから
【インスタグラム】
https://www.instagram.com/praemiumimperiale/
【フェイスブック】
https://www.facebook.com/praemiumimperiale/

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。