その情報は突然入ってきた。

私は11月12日から始まる中国最大の航空ショーを取材する為、前日の11日から広東省珠海市に来ていた。会場の下見取材を終え夜ホテルに戻ると、北京にいる同僚から「珠海市でこんな事件が起きているらしい」とSNSに投稿された動画が送られてきた。

中国SNSより 体育館周辺のランニングコースに侵入していく車 (11月11日)
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動画には、多くの市民が道路に倒れ血だらけになっている人や、泣き叫ぶ声の先に倒れたまま、動かなくなっている人の姿があった。また、1台の車が暴走する様子も捉えられていた。

中国SNSより 警察官に取り囲まれる1台の車(2024年11月11日)

私が最初に思ったのは「運転手が何らかの理由で運転を誤ったか?」というものだった。日本でも運転手がブレーキとアクセルを間違え暴走し、負傷者が出てしまう交通事故は、たびたび起きている。しかし、次々にSNSにアップされる動画からは、過失による事故ではないことが確実にうかがえた。

一方で「ただの交通事故でなければテロ事件か?今の中国でそんな事件が起きるのか?」、こんな気持ちを抱きながら、宿泊しているホテルから出てタクシーに乗り、現場へと向かった。

現場となった体育館から出てくる救急車(2024年11月11日)

現場に近づくと乗っていたタクシーは動かなくなった。付近では交通規制が行われ、その先から救急車が次から次へと出てきていた。

規制された現場で拘束されたメディアも

「ここが現場で間違いない」。そう確信し、さらに中に入ろうとしたが、体育館の入口に立つ警備員は「一般人はこれ以上中には入れない」と私たちを制止した。

私は中に入れないのであれば、まずは目撃者に話を聞こうと考え、体育館から出てきた人たちに話を聞いた。「被害に遭ったのは50人以上」という話もあれば「100人近くがはねられた」という話もあった。ある目撃者は「十数人が死んでいた」と話すなど、現場の混乱と壮絶な状況が感じられた。

一方で、同様の取材をしていたイギリスのBBCや別のメディアの記者らが、地元当局によると思われる取材の妨害を受け、別の場所に連れて行かれたという話も耳に入ってきた。こうした事件現場では自由に取材が出来ないことは中国では多々ある。

私たちは中国外務省が発行する記者証を持っていて、本来ならばこの記者証があれば中国の法律を守っている限り、原則、取材活動は認められているはずだ。しかし、実際には多くの場面で様々な理由をつけられ、取材活動が妨害される事は珍しくない。

北京市の小学校で下校中の児童が刺された現場(2024年10月)

最近でも、北京市で下校中の小学生が男に刺された事件を取材していた際、私を含む多くの記者が、現場で何らかの理由をつけられ、取材活動の妨害を受けている。

事件翌日に発表された犯行動機

事件発生から約2時間後、地元警察が事件についての情報を出した。それによると、犯人は62歳の男で、犯行後に現場近くで拘束されたという事だった。

警察当局は62歳の男を拘束したと発表

さらに事件発生の翌日、警察から今回の事件で死者35人、怪我人43人が出たと発表された。

また62歳の男は、事件後に自らの首を刃物で切り付け、現在は意識不明の重体となり病院で治療を受けているという。そして、男の犯行動機は「離婚後の財産分与の結果について不満を持っていた」というものだった。

これだけ多数の犠牲者や被害者が出ていることを考えると、日本では警察が犯行の動機などについて発表するのが一般的だ。だが、中国においては当局が犯行動機などについて発表することは珍しい。

死亡した男児が通っていた日本人学校(広東省深セン市)

さらに発表のタイミングが早く驚いた。同じ広東省の深セン市で、9月に日本人学校に通う男子児童が被害にあった事件では、今になっても事件の背景や拘束された男の動機についての情報は出ていない。当局の一連の対応からは今回の事件はあくまで「個人間のトラブル」ということを強調することで、事件を早期に収束させたい思惑があるとみられる。

一方で、男は意識不明で重体であり本人の口から直接聞けていない以上、所持していたスマホの解析などを進めたとしても、どのようにして犯行動機がわかったのか、疑問は残る。

犠牲者を悼むことさえ許されない

現場となった体育館の入り口では、事件発生の翌日から、犠牲者を悼む市民が花を手向ける姿があったが、ここでも中国当局の対応は早かった。

事件後、現場で手を合わせる市民(2024年11月13日)

この場所には12日の夜から市民がやってきて、花束を手向けたり、犠牲者を追悼するためロウソクの火が灯されたりしたが、こういった追悼の動きさえも当局は伏せたいのか、翌日の朝には花やロウソクが撤去された。

「中国は世界で最も安全で、刑事事件の犯罪率が最も低い国の一つ」

事件が起きた2日後の13日に行われた中国外務省の記者会見の中で、報道官は「珠海で起きた事件は極めて悪質で、習近平国家主席も重要な指示を出した」と述べた上で「外国人の死傷者は出ておらず、中国は世界で最も安全で、刑事事件の犯罪率が最も低い国の一つ」と強調した。

事件2日後に行われた中国外務省の定例記者会見(11月13日)

しかし、世界に向けて発信する外務省の会見とは言え、自国民が一度に35人死亡し、43人が怪我を負ったこの事件で「外国人の死傷者は出ていない」という言葉を遺族や被害者が聞いたらどう思うのだろうか。

検閲され削除され続ける市民の声

一方、中国では表立って抗議することはできないが、SNSでは市民のやるせない怒りは、決して小さいものではなくなっていた。こうした状況を抑え込むため、中国当局は、事件に関するSNSへの投稿を検閲し、さらに事件に関する報道をコントロールしているとみられる。

日本であれば、これだけの犠牲者が出た事件の場合、1週間は現場で記者やカメラマンが取材を続け、連日トップニュース扱いとなるが、中国では大きく報じられることはない。繰り返しになるが、何の罪もない35人の市民の尊い命が一瞬にして奪われている大事件にも関わらずだ。SNSでは、事件の背景や中国政府の対応について問う声が上がるものの、今も当局によって削除され続けている。

事件後、立ち入り禁止となった珠海市の体育館

現場の検証も事件の背景を伝える報道もされないまま、全てが無かったことのように時間が過ぎていく現実に対して、ある市民は「無実の人がこれだけ犠牲になったが、彼らが一体何をしたというのか」と嘆いていた。

現場となった体育館の前で涙を流す市民(2024年11月13日)

善良な市民がさらに監視される社会

「国家の安全」を最重視する中国にとって、今回の事件は習近平指導部に衝撃を与えた。

中国共産党のトップ習近平国家主席

それを裏付けるように、習近平国家主席は事件翌日の12日に、今回の事件は「性質が極めて凶悪」と述べ、「関係部門は今回の教訓をくみ取り、リスクをコントロールし、極端な事案の発生を防ぐべきだ。人民の生命、安全と社会の安定を守る必要がある」と指示を出している。経済の低迷が続く中、中国では刃物による無差別の切りつけ事件などが相次いでいる。習近平政権が恐れているのは、こうした事件への怒りの矛先が共産党や政府に向かうことだ。

香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは、10月14日の記事で、「中国当局は多発する無差別殺傷事件を受け、村や町の幹部に犯罪を起こしそうな人物を洗い出すよう指示した」と報道している。事実であれば、今回の事件を受けて、この動きはさらに加速するだろう。

善良な市民が犠牲になったことで、当局によって更に市民が監視される対象となる。この事件を通して2002年に公開されたアメリカのSF映画『マイノリティ・リポート』(スティーブン・スピルバーグ監督)を思い出した。予知能力者を中心に構成されたシステムを導入し、殺人事件が起きる前に当局が「犯人」を拘束し、事件を「予防する」というストーリー設定だ。

殺人事件が起きる前に殺人事件を防ごうと、当局が常に市民を監視し続けている。今、まさに中国で、この映画のような状態が起きようとしている。
【取材・執筆:FNN北京支局 河村忠徳】

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