台湾で慰霊祭 日本の遺族など約90人参列
主催団体の中心メンバーは
そのため「魔の海峡」や「輸送船の墓場」などと呼ばれ、当時を知る地元の人によりますとバシー海峡を臨む台湾南部の海岸には多くの遺体が流れ着いたといいます。バシー海峡は軍事的にも重要で、近年は、台湾の統一を目指す中国が台湾周辺で大規模な軍事演習を行う際などにバシー海峡を航行する中国の空母や艦船がたびたび確認されています。
また、バシー海峡に近い南シナ海では、領有権を争う中国とフィリピンとの間の対立が深まっていて、フィリピン政府は、自国の船が中国の船に衝突されて負傷者が出たり船が損傷したりする事態が相次いでいるとして中国側を非難しています。中国が覇権主義的な動きを続ける中、アジア太平洋地域の平和と安定をどのように維持していくのか国際社会の懸念は強まっています。
太平洋戦争当時、バシー海峡で命を落とした戦没者を追悼する慰霊祭が17日、台湾南部の寺で行われました。ことしで10回目となる慰霊祭が行われたのは、台湾南部の屏東県にある潮音寺で、日本から訪れた遺族や台湾の日本人団体など、およそ90人が参列しました。
遺族を代表して兵庫県に住む古川佐恵さん(61)が「平成、そして令和生まれの人たちにも受け継ぎ、戦争を知らない私であっても思いという目に見えないものを伝えていく義務があると思う」と弔辞を述べました。
このあと、一行は海峡を臨む海岸に移動し、花を手向けたり、手を合わせたりしていました。戦後80年となる来年は8月に慰霊祭を開く予定です。
慰霊祭では、駆逐艦の艦長だった父親をバシー海峡で亡くした佐賀県の住職、吉田宗利さん(82)がお経を唱えました。
吉田さんの父親の宗雄さんは駆逐艦「呉竹」の艦長を務めていました。「呉竹」は1944年12月にアメリカ軍の潜水艦の魚雷を受けバシー海峡で沈没しました。吉田さんは慰霊祭に1回目から参列し、新型コロナウイルスの感染が拡大したときなどを除いて毎年お経をあげてきました。17日は、つえをつきながらも会場の寺を訪れ、父親だけでなくバシー海峡で命を落とした戦没者を供養しました。
吉田宗利さん「世界は戦いの方向に進み、日本もいつ巻き込まれるか分からないような怖い状態になっているので、歴史が繰り返すのではないかと心配しています。鎮魂と平和を祈って一生懸命にお経をあげました」
慰霊祭で司会を務めた土山祐実さん(24)は、台湾の大学に通いながら主催団体の中心メンバーとしてボランティアで活動しています。
慰霊祭の前には、バシー海峡に面した海岸や白い花をデザインしたハンドタオルやTシャツなどの制作や販売も担当し、売り上げを慰霊祭の運営費に充てるとともに戦没者を忘れないよう呼びかけています。さらに台湾に留学している日本人の大学生など、同じ世代に向けて慰霊祭を紹介するメッセージをSNSに投稿し、今回初めて日本人留学生2人が参列したということです。
土山祐実さん「同じようなことが起きてほしくないです。私たちがちゃんと歴史を知って、理解してみんなに広めていくことが平和への第一歩だと思います。1人でも多くの若い世代に知ってもらいたいという思いがあったので(日本人留学生の参列は)すごくうれしいです。一人一人が戦争や平和について考えるきっかけになればいいと思います」
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