1948年のイスラエル建国に伴って多くのパレスチナ人は、それまで暮らしていた土地を追われ各地で難民となったため、パレスチナの人々は、イスラエル建国の翌日にあたる5月15日を、アラビア語で「大惨事」を意味する「ナクバ」と呼んでいます。

230万人以上のパレスチナ難民が暮らすヨルダンでは、「ナクバ」の日にあわせて15日、首都アンマンの広場で若者など100人以上が集まり、イスラエルに対する抗議デモが行われました。

デモの参加者は、パレスチナの旗や、かつて追われた家の鍵を掲げ、「パレスチナに自由を」とか「故郷に必ず帰る」などと声を上げていました。

デモに参加した30代の女性は「ここにいる多くの若者がパレスチナに住んだことも、行ったこともない。でも、私たちは1948年からきょうまでナクバの話を祖父などから受け継いできた。これからも帰還の権利を求めていく」と話していました。

また、20代の男性は、欧米の大学などでイスラエル軍によるガザ地区への攻撃に対する抗議活動が行われていることについて「本当に驚いた。人々はガザ地区で行われている殺害などを受け入れないと声を上げている。欧米諸国でも人々が行動を起こしていると感じる」と話していました。

「ナクバ」とガザ地区でのイスラエルの軍事作戦

ガザ地区でのイスラエルの軍事作戦ではおよそ170万人が住まいを追われていて、76年前のイスラエルの建国によって多くのパレスチナ人が暮らしていた土地を追われた惨事と、今回の事態をなぞらえる人もいます。

1948年5月14日にイスラエルが建国されたことに伴って多くのパレスチナ人は、それまで暮らしていた土地を追われ、各地で難民となりました。

その数はおよそ70万人にのぼりました。

以来、パレスチナ人は、これをアラビア語で「大惨事」を意味する「ナクバ」と呼んでいます。

難民となったパレスチナ人の中にはもともと暮らしていた土地に戻ることを願い続けて、当時住んでいた自宅の鍵を世代を超えて引き継いでいる人も多くいて、毎年5月15日を「ナクバ」の日として各地で難民やその子孫らが、故郷への帰還を訴えてきました。

2023年10月のイスラム組織ハマスによる奇襲攻撃を受けてイスラエルがガザ地区で軍事作戦を続ける中、UNRWA=国連パレスチナ難民救済事業機関によりますと、地区の人口の75%以上にあたるおよそ170万人が住まいを追われ、その多くが何度も避難を余儀なくされています。

ガザ地区で暮らす人の多くは、76年前に難民となった人の子孫で、パレスチナ暫定自治政府のアッバス議長は、一連の戦闘が始まると「第2のナクバになる」と訴えていました。

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