知床国立公園の指定60周年を記念するシンポジウム(環境省などによる実行委主催)が1日、北海道斜里町で開かれた。テーマは「私たちは自然とどう向き合うか~知床らしい良質な自然体験と利用の心得」で、地元の知床財団職員や高校生、自然ガイドらが未来の知床について語り合った。

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 シンポではまず、知床の歴史について紹介。1964年、国内22番目の国立公園として指定されたが、この後、乱開発から守るため、開拓跡地を買い取る「しれとこ100平方メートル運動」が始まった。さらに国有林の伐採にもあらがいながら多くの人たちによって自然が守られ、2005年に世界自然遺産になったことを伝えた。

 基調講演は直木賞作家、河崎秋子さん(別海町出身)で、「100年先まで続く人間と自然のありかたを」と題し、作品の題材にもなった自身とヒグマとの関わりなどを紹介。この後、河崎さんも交えたパネルディスカッションに移った。

 司会は知床世界自然遺産地域科学委員会の委員を務める愛甲哲也・北海道大学大学院教授が務め、知床における「人と自然との距離」について意見を交わした。

 その中で、羅臼高校の生徒会長を務める石井渓人さんが学校として取り組む知床の清掃活動などを報告。「人の手でコントロールできないのが自然。森林やヒグマなど最初は怖かったが、活動を通じてその自然を守らなくてはという思いが身についてきた」と語った。

 知床の未来へ向けた課題についてさまざまな意見が出る中で、台湾から知床に移住した自然ガイドの藍屏芳(ラン・ピンファン)さんが、知床岬で計画されている携帯電話基地局の問題について疑問を投げかける場面もあった。

 愛甲さんは「知床にはいろいろな課題がある。これまでもそうだが、これからも議論しながら乗り切っていきたい」と締めた。

携帯基地局計画に疑問の声も

 シンポジウムの後、藍屏芳さんに知床岬の携帯電話基地局問題について聞いた。

 知床には「地の果て」「日本最後の秘境」といったイメージが日本人だけでなく、案内する海外からの旅行者にもある。開拓の歴史はあるが、いまも人が手をかけていない原生に近い自然が残っており、その象徴が知床岬と思う。

 知床のポスターにはよく知床岬の先端部の上空から写した写真が使われ、これがまさに「地の果て」感を表している。そこに太陽パネルが写っていたらどうでしょう。たとえ太陽光パネルが観光船の上から見えなくても、そこにあることを知っているだけで秘境感はなくなってしまう。

 携帯電話の進歩はとても早く、この10年でもめざましく進歩した。きっと10年もたたないうちに衛星通信が標準化されるかもしれない。そのとき太陽光パネルはどうなるのか。

 今日は50年、100年先を見据えた知床がテーマだったが、だからこそいまのままの知床の自然が残っていてほしい。(奈良山雅俊)

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