空き家になった東京の家に戻って、数カ月が経過。にもかかわらず、日々、なにもせずに横たわっている。しかも、ずっと、このまま寝ていたいなあ、などと思う。
時々、チェックに来る息子が、かくも覇気を失ったまま老いていこうとする母を放置していて、いいのか?と思うらしい。「何か、やってほしいことある?」と時々、殊勝なことを言ったりもする。
「べつに、困っていることはないよ」と、言いつつ、私は、好きに怠惰な日々の中を漂っている。
これまで、人があきれるほど、目まぐるしく生きてきたせいか、私は、何だか、とことん人生に疲れ果てているような気がしてならない。
一応、仕事はしている。とは言っても時々、原稿を書くだけ。
すべきことはそれだけなので、ストレスはない。
思えば、私は、長いこと貧乏な母子家庭で、ただひたむきに原稿を書きながら、貯金なしの生活をしていたな、と思う。
今は、長く一緒に暮らしていた父が、東京に家を遺してくれたおかげで、家賃いらずのお気楽な日々。
そのありがたさをしみじみ実感し、毎日、父の仏前に手を合わせてはいる。
それ以外は、あらゆることが気分次第。
このような日々を続けているのは、まずいのかもしれない…。と思っていたら、案の定だった。
次第になにもできなくなってきたような。
自分の人生が後、どのくらいあるのか分からないけれど、これからも、きっと想定外のことが降ってくるに違いない。
だから、こんなことではいけない。しっかりせよと、自分で自分を叱咤(しった)激励しつつ、新たな季節を迎えることになりそうだ。
(ノンフィクション作家 久田恵)
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ひさだ・めぐみ 昭和22年、北海道室蘭市生まれ。平成2年、『フィリッピーナを愛した男たち』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。介護、子育てなど経験に根ざしたルポに定評がある。著書に『ここが終の住処かもね』『主婦悦子さんの予期せぬ日々』など。
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