アセテートとメタルのフレームがある「ラザール・ステュディオ」。メタルフレームの製造を日仏で行うのは、部品製造は日本、組み立てはフランスが伝統を踏襲しているからだという

福井県鯖江市周辺は、日本の眼鏡の一大生産地だ。雪深い福井県で冬季にできる手内職をと、1905年ごろに始められたという。福井県眼鏡協会によると、今では日本での眼鏡フレーム生産の9割以上を占める。81年には、軽く丈夫だが加工が困難だといわれるチタン製の眼鏡フレーム開発に世界で初めて成功。その後も技術革新を続け、世界に名を知られるようになった。

仏ケリングが「リンドバーグ」をはじめとした眼鏡ブランドを相次ぎ買収するなど、ラグジュアリービジネスにおいて近年、眼鏡は重要なアイテムとなっている。こうした中で鯖江をはじめとした福井の技術力は改めて注目されている。2021年には「レイバン」など高級ブランドを抱える世界最大の眼鏡メーカー、エシロールルックスオティカが鯖江市に拠点を設けた。

仏リヨン発の眼鏡ブランド「ラザール・ステュディオ」のデザイナー、アレキサンドル・カトンさん(46)も、この地の技術力を信頼し、眼鏡パーツを作ってもらっている。カトンさんはもともとビンテージ品を多く扱う眼鏡店を営んでいたが、その後、デザインや製造に深く関わるようになり、20年にこのブランドをスタート。「伝統の感覚と現代性を融合させたい」と考えた。早くも26カ国で幅広い年代に注目されるブランドに育っている。

カトンさんのこだわりの一つが素材にチタンではなく、昔の眼鏡によく使われていたニッケルなどの合金「洋白」を使うこと。「チタンと洋白ではかけた時の感覚が異なる。私としては、チタンは軽すぎる」。フレームには独自の部品を設計、開発した。彼の強いこだわりを支えているのが、福井の職人技だ。鯖江とその周辺で、レンズを囲むリム以外の全ての部品を製作している。カトンさんに同行し、部品を製造する福井市の工房を訪ねた。

1000分の1ミリ単位の精密な加工をも可能にする技術を持つ、畑中金型製作所の畑中重幸さん(左)と、「ラザール・ステュディオ」のアレキサンドル・カトンさん

畑中金型製作所はコンピューターを使った先端的で緻密な設計のほか、金型を取り付けた10〜300トンものプレス機で自在な形に金属を加工するなどのやり方で、眼鏡の部品を作っている。プレス機を使った加工は「しなやかさと同時に耐久性を出せるが、フランスではもう行われていない伝統的な工法だ」とカトンさん。

工具が整然と並ぶ工房内には大きな音が響き渡る。「ラザール・ステュディオ」のメタルフレームのうち、テンプル(つる)やブリッジなど多くの部品がここで作られる。工房では通常はチタンを扱うが、カトンさんのために特別に洋白で作っている。「チタンより傷がつきやすく、加工に気を使う」(会長の畑中重幸さん)と容易ではない。

しかも「ラザール・ステュディオ」のフレームはかけた時のバランスを保つため、テンプルの先端におもりを付けるなど特殊な形状。だがカトンさんは細かなニュアンスにまでこだわり、理想の形になるまで決して妥協しない。特にこだわったのは、部品の角の丸みの具合と、ネジとの接合部分の隙間は極力小さく、均一にするという極めて緻密な点だ。

「こだわるのは日本人の専売特許かと思っていたが、彼はその上を行っていた。さらなる精度を要求してくる」。カトンさんと畑中さんを引き合わせたユーロビジョン(福井県鯖江市)の代表取締役、福岡潤さんは舌を巻く。同社は眼鏡部品やフレームの製造卸などのほか、眼鏡メーカーと部品メーカー間のコーディネートを行っている。

畑中金型製作所にとってはイレギュラーな洋白素材で、かつ部品の形も標準的でないだけに手を引こうとした時もあったが、畑中さんの技術に惚(ほ)れ込んだカトンさんがどうしてもと頼みこんだという。複雑なデザインをどのような手順でどう作るか考え、形にするのは畑中さんの経験のなせるわざだ。

このほかにもカトンさんは特殊な部品を考案し、鯖江市の別の工房で生産している。テンプルの折り畳み部分にあるヒンジは最も負荷と摩耗が大きく、緩みやすい。ここに特殊な繊維などを使った独自構造の部品を用いることで、なめらかに開閉するのに緩みにくくした。昔の眼鏡の弱点だったヒンジの弱さを現代の技術で克服したのだ。こうして精密に作られた部品は、「伝統的な組み立て方を継承している」(カトンさん)という理由で、フランスの眼鏡生産地、ジュラの工房に送られ、組み立てられる。

こだわりはまだある。メタル製フレームにはフランスの高級ジュエリーの工房による、貴金属のコーティング加工を施す。まず洋白のフレームに銀、パラジウムなど様々な貴金属の層を重ねる。こうして耐久性を上げ、中には最後の層に、特殊な処理を施したブラックゴールドを重ねるものも。古びたような渋い色合いだ。「でもこのブラックゴールドを定着させません。使っていくうちに変わっていきます」。カトンさんはこの仕上げ方を「侘(わ)び寂(さ)び」と呼ぶ。

「侘び寂び」と呼ぶ加工を施した眼鏡はブラックゴールド仕上げのビンテージ調。緩くなりがちだったヒンジの内部は特殊な設計で、耐久性があり緩みにくい

使ううちにこすれなどで摩耗しやすい部分はゴールドの層が薄くなり、光沢が出てくる。溝の部分など、黒い色が残るところもある。使い方によって表面の色合いが変わって、その人なりのビンテージ調に変化する。「侘び寂び」という言葉は、時を経たものを愛してきたカトンさんに、あるとき友人が教えてくれた。調べてみると「自分の中にあった感覚はこれだ」と思えた。

スタイリストの村井素良さんは「侘び寂び」加工を施した眼鏡を実際に購入した一人。購入して日が浅いため「味」が出るのはこれからと言うが「ビンテージ眼鏡の心地よい重さ、計算されたであろう身につけやすさという現代性が融合しているのを感じている」。

海を越えて、日本とフランス、2つの産地の職人技が競演する一生ものの眼鏡フレームが作られている。その眼鏡は使う人の時間が加わって、唯一無二の品に育っていく。

ライター 安田薫子

遠藤宏撮影

[NIKKEI The STYLE 6月2日付]

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