「いける」だけで成立する会話

みなさん、どんな使い方をしているか。

そもそも意識したことがあるのか。

まずは、大阪市内で話を聞きました。

20代会社員(右 奈良県出身)
「普通に使う。『今度の試験いける?』みたいな。“大丈夫”よりは絶対“いける”。なんで?わからへん。意識したことないな」

30代会社員と高校生の親子(大阪府出身)
(父)「なんで使うのかと言われても。なんでも、いけるいけるという会話になると思うな。娘が高校受験やったんで、『いけるか?』言うたら『いける』って言うてたから、『あーいけんねや』と」

(記者)「いけたんですか?」

(娘)「いけました。ははは」

入学式を終えたばかりの大学生のグループにも聞きました。

学生(和歌山県出身)
「例えば、こけた人がいたら『いける?』って。『大丈夫?』って意味で使いますね」

でも、関西出身ではないこちらの学生は。

学生(愛知県出身)
「そんなふうには言わないです。何を言っているのかなと思いました。でも、これから合わせていこうと思います」

ビジネスの現場でも、よく使われていました。

30代会社員(滋賀県出身)
「何か提案された時に、『それいけるで』。『オッケー、その意見採用』みたいな」

40代会社員(京都府出身)
「『お前4000万円いけるんか?』って言うね。ノルマとか売り上げ目標とか。でも、よその人と話していて、通じなかった時あります。『どこに行くんですか』って言われたことがありますね。『いや、どこにも行かないです』と」

実際にどれだけ使われているのか。
大阪市内の飲食店にカメラを置かせてもらい確認してみました。

すると…。

開店直後に「もういける?」

店員さん同士で「みそ汁いける?(提供できる?)」「いけます」

店内が混んでくると「2人やけど、奥いける?」

会計時には「別々でいけます?(個別に会計できますか?)」

30代店員(兵庫県出身)
「ランチの1時間余りで130人のお客さんが来る。忙しいから、いちいち言葉を選んで言ってられないっすよ。『いける?』『いけます』で済むのがいい」

「いける」が関西のみなさんに、いかに定着しているのかよくわかりました。

専門家に聞いてみたけれど…

地域差はなぜ生まれたのか。方言学や言語学の専門家にとにかく話を聞いてみることに。

奈良大学総合研究所の岸江信介特別研究員(三重県出身)によると、三重県では関西(2府4県)ほどは使われていないそうです。

また、徳島大学の仙波光明名誉教授の話では、徳島では関西と同じくらい使われているとのこと。

そこまでは分かったものの、取材した10人の専門家から出てくるのは「気付かなかった」「言われてみればそうかも」という言葉ばかり。

手がかりが見つからずしょんぼりしていたところ、関西大学の日高水穂教授からこんな連絡が。

関西大学 日高水穂 教授
「言われるまで私も気付きませんでしたが、私の構築した『漫才データベース』でも、西の漫才師のセリフによく使われています」

え?

漫才データベースって何ですか?

すぐに向かいました。

漫才でわかる東西差

日高教授は大正時代から1980年代の「漫才ブーム期」にかけて500本以上のネタを東西の漫才師ごとに文章化して、分析していました。

関西大学 日高水穂 教授
「一般に小説に出てくる会話は、何かしら着飾っている可能性を否定できません。漫才というのは、活字にはしにくいような卑近な話題や日常会話をかけあいでやり取りしているので、方言の研究に非常に適しているんです。東西差をつかむことができます」

その「漫才データベース」で、“いける”を検索してもらいました。

すると、データベース上では東の漫才師は、「酒がいける」の1件だけ。
(「リーガル千太・万吉」のネタ)

一方、西の漫才師は…およそ30件ヒット。
(「芦乃家雁玉・林田十郎」「夢路いとし・喜味こいし」「島田紳助・松本竜介」「ザ・ぼんち」「今いくよ・くるよ」「西川のりお・上方よしお」など)

東西差がはっきりと出ました。

関西大学 日高水穂 教授
「漫才で見ても、これだけ地域差があることにびっくりしました。各時代で使われているし、特定のコンビがよく使っている訳でもないし、関西で日常的に使われている、定着した表現だと言えます」

ということで、データベースに名前のあった、ベテラン漫才師に聞きました。

「ザ・ぼんち」のおふたりです。

ぼんちおさむさん
「おさむちゃんでぇ~~~す!」

Q.なぜ「いける」を使うんですか?

里見まさとさん
「意識したことないなあ」

ぼんちおさむさん
「それ気にする方がおかしいんちゃう?」

ずっこけそうになる中、ネタ作りを担当する、まさとさんからこんな分析が。

里見まさとさん
「漫才でいくなら、非常に語呂がええ。『これおいしいやん』より『いける』の方が。『いけるいける』っていうのんでは、漫才の調子としては、語呂がええし、短いし、音もきれいやし。それで使っているのも、あるのかもしらんね。いままで意識したことなかったけど、大切に使おうと思います」

江戸時代には浸透している「いける」

ちなみに、国内最大の国語辞典とされる『日本国語大辞典第二版』(小学館)を開くと、いけるの用例が詳しく載っていました。

「それ、渋と脂(やに)とに固まる松。いけるものじゃない」(歌舞伎『幼稚子敵討』1753年)

「そんな生ぬるい事でいけるものか」(歌舞伎『菊宴月白浪』1821年)

『幼稚子敵討』は上方(西)の作品で、『菊宴月白浪』は江戸(東)の作品です。

専門家に聞くと、少なくとも200年以上前から、いまのような意味で広く使われていたことがわかりますが、地域差を読み解くことはできないといいます。

「あかん」と「いける」はセット?

今回「いける」に注目した専門家の研究は見つかりませんでしたが、「いけない」について調べた論文が見つかりました。

愛知教育大学 矢島正浩教授の研究論文『近世期以降の当為表現の推移』

江戸時代から平成にかけて、150以上の歌舞伎や会話の記録集から、言葉を拾い出したものです。

この論文によると、「江戸・東京語」の作品では、明治以降「~してはいけない」など「いけない」が頻繁に登場していました。

一方、「上方・大阪語」の作品では、「いけない」はほぼ使われず、代わりに「あかん(いかん)」がよく使われているというのです。

漫才データベースを作成した日高教授にも聞いてみました。すると、関西でよく使われる「あかん」とセットで広がった可能性もあると指摘してくれました。

関西大学 日高水穂 教授
「ある言葉について、否定形だけ、あるいは肯定形だけという、どちらか一方の用法だけが広まるということは実際に起きるんです。例えば、おもしろくないという意味の『つまらない』という言葉がありますが、肯定の『つまる』は現代には残らず、『おもしろい』という別の言葉が肯定形を担うようになりました」

「つまり、『いける』の場合も、東京では、特に否定の形『いけない』が慣用化・浸透していって、『いける』の用法はそこまで広く拡張しなかったのではないか。それに対して関西の場合は『あかん』が否定の文脈で使われる用法を獲得していったことで、それと一緒に『いける』を使いやすかったのではないか、ということです」

会話の“距離感”が関係

「いける」と関西の相性について、相手との“距離感”に注目した専門家も。

俗語研究の第一人者である、梅花女子大学の米川明彦名誉教授です。

西の「いける」にあたる言葉は、東では「大丈夫」になるとして、次のように分析します。

梅花女子大学 米川明彦 名誉教授
「関西人は、ぐっと近づいていくしゃべり方をするんです。『いけますか?』っていうのは、誰がいくんですか。話し手ですよね。『私がいけるか?できるか?』と聞いている。話し手がぐっと近づいていく。『大丈夫ですか?』というのは、あくまで相手が大丈夫かどうか。相手の状態を聞く言葉です。“私”は立ち止まったまま。いけるというのは、まさに“動く動詞”ですからね。距離を縮めて話す大阪人には、とってもぴったり。とても合う動詞だと思うんです」

さらに、いけるが持つ「あいまいさ」には気遣いも含まれているのではないかと指摘しています。

梅花女子大学 米川明彦 名誉教授
「もし『これできるか』と聞いたら『おまえの能力でできるか』というニュアンスになる。能力を聞かれたら『なんや!』と思ってしまう。でも、『いける』はほわっとしているから、『いけるよ』と軽く受け取れる。相手との距離を縮めていく。縮めていくんだけど、土足でズカズカとは入り込まない。それほど強いボールを投げる言葉じゃないから、ある程度は近づいていくけれども、一定のところで立ち止まっている言葉。それが広がった理由ではないでしょうか」

取材後記

私(記者)は、この取材をするまで、関西のみなさんが、なんでもかんでも「いける」を使うことに違和感がありました。

大雑把が過ぎるのではないかと。

ですが「距離を縮めてしゃべりつつも、ある程度のところで立ち止まっている」という分析に、なるほどと思いました。

関西の皆さん、すみませんでした。今後はたくさん使わせていただきます。

(4月10日「ほっと関西」で放送)

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