ファンを気にかけながら、結婚した=平成5年

《印象に残っている女優として、大原麗子さんを挙げる》


出会ったころの大原さんは、本当にかわいかったですよ。家族ドラマ「妻の寝顔」で共演したんです。とても緊張して。なんたって、「大原麗子」ですよ! ウイスキーのサントリーレッドのコマーシャルで、「すこし愛して、なが~く愛して」と言ってましたね。本当にかわいかったです。

ある日、僕が原宿のジャニーズ事務所(現SMILE―UP.)の合宿所から、ファンクラブがある場所に遊びに行こうと思って渋谷を歩いていたとき、車に乗った大原さんが僕を見つけ、「トシ、何をやっているの?」と声を掛けてきたんです。ビックリして「散歩です」と返答したら、何と「乗りなさい!」と言って、家に連れていってくれました。

大原さんの自宅に、(夫だった)森進一さんもいるのかと思ってビビった(笑)。実際にはいなかったけどね…。本当にすてきな方でした。


《大原さんから、恋愛や結婚に関し、大切な言葉をもらったことがある》


確か、次のような言葉です。「『人間』として生きていかなければ。プライベートの自分と、仕事をしている自分の両方がなければ、人生を半分しか生きていないことになる。好きな人に会いたい、お話ししたいという気持ちが大切なのよ」。お姉さまだったから、そのようなことを言ったんでしょう。

自分の中では、結婚する年齢は決めてましたよ。33歳までに、と思っていた。その年齢なら、「田原俊彦」というものをしっかり確立できているし、経済的にも、いろんな意味でも、いいんじゃないかと。

でもなぜ、33歳だったのかなとも思います。背番号「3」をつけたプロ野球の長嶋茂雄さんが好きだったから? 田原俊彦という漢字の字画が33画だから、というのもありましたね。

《意中の女性がいる中でも、別の女性とのスクープ写真を撮られることがたびたびあった》


僕は本当に、カメラマンの〝ターゲット〟だったんですよ。僕のところに来れば、〝女のにおい〟がするということでしょうか。

ま、独身のときは、遊べばいいと思いますが、付き合っていた本命の女の子は一体、どういう気持ちで見ていたんでしょうね。「どうもすみません」と謝るしかない…。

毎回、違う女の子との写真を撮られていたとはいえ、いつかは結婚しなければ、とは思ってました。ただ、僕を応援してくださる多くのファンのことが一番、気になったのも事実です。

ファンには、結婚のことはなかなか言えなかったですね。それでも、いずれはお嫁さんを選ばなければならないわけで。

でも、アイドルというのは、ファンにとってあくまでも虚像にしか過ぎないのも確かです。僕を〝推し〟てくれた方々には、自分の人生というものも存在する。自分の生活や学校があり、好きな人がいて、20歳も過ぎれば結婚もするわけです。

僕が平成5年、32歳で結婚したとき、メインのファンの方の年齢は25歳前後。結婚を考える時期なので、「現実」というものが分かっていたと思います。

〝テレビの中の好きな人〟である僕がデビューしたとき、彼女たちは小学生や中学生。「トシちゃんと結婚したい」と思う人は多かったでしょうが、現実を見て日々、生きていく中で、失恋も含め、いろんな経験をして大人になっていくでしょうから、現実と、そうでないものとの区別は付いていたと思います。

そうは言っても、僕が結婚するとき、絶対にダメージはあるだろうな、とは思ってました。だから僕は婚約発表をしなかった。結婚披露宴もする必要はない、と思いました。それは後々、大きな問題になっていきました…。(聞き手 黒沢潤)

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。