まだ着られる中古衣類の寄付で障害者スポーツ(パラスポーツ)を応援する「ふくのわプロジェクト」(産経新聞社主催、オフィシャルパートナー・富士紡ホールディングス)は、応援先競技団体の一つ「日本パラ・パワーリフティング連盟」の協力のもと、3月13日、東京都町田市立成瀬中央小学校(坂西圭子校長)で、パラ・パワーリフティングの選手と児童との交流授業を行った。参加したのは、アテネ、ロンドン、東京とパラリンピック3大会に出場した宇城元選手(順天堂大学スポーツ健康科学部)と、挑戦を続ける成毛美和選手(APRESIA Systems)、山下貴久雄選手の3人。同校の6年生約50人が15キロまたは25キロのベンチプレスに挑み、競技の面白さや選手の力強さなどを体感した。

※所属、肩書、学年は実施当時。写真の一部画像処理しています。

寺河内美奈撮影

自分との戦い 声援が力に

体育館に置かれたベンチプレス台を取り囲んだ児童たち。視線の先には、真剣な表情でバーベルを握る成毛選手。自身の体重と変わらない40キロのバーベルを、胸まで引きつけ、一気に持ち上げた。切れのある所作に拍手が湧き起こった。お手本を見た後は、児童たちが15キロか25キロのバーベルに挑戦。この日用意された道具は、パラリンピック東京大会で実際に使われたものだと聞いて、気合が入った。体験会だが、胸の上でバーを静止させる▽持ち上げたとき傾かない▽フィニッシュで両肘が伸びている-といったルールに従って、同連盟の吉田進強化委員長が成功かどうかを判定した。

宇城選手は「空気を吸い込んで、息を止めて、バーを押し上げるんだよ」とアドバイスしてくれた。

1人ずつベンチに横になり、バーベルを上げていく。持ち上げたけれどグラグラしてしまう子、安定した姿勢で持ち上げられた子。「頑張れー」と温かい声援が飛び交った。

児童のチャレンジに負けじと、山下選手も不自由な下半身をベルトで固定し、ベンチに横たわる。50キロ、80キロをクリアすると、児童らから「100キロ、100キロ」の熱いコール。大歓声に後押しされ、山下選手は見事、100キロを持ち上げた。アスリートの力強さを間近で感じた児童たちの好奇心は尽きない。質疑応答では「何を食べてますか」「パワーリフティングをやっていてよかったことは何ですか」など質問を重ね、選手との交流を楽しんだ。

終了後、同連盟の吉田彫子事務局長は「『体験を通じて失敗を恐れず挑戦できる大人になってほしい』という学校の願いを子供たちが受け取ってくれてうれしいですね」と振り返った。そして「『あなたの応援団でございマッスル』をキャッチコピーに、体験会などを通じて、挑戦する心を持ち元気になってもらいたいと考えています」と語った。

毎年約200キロの古着収集 社会とのつながり学ぶ

同小は東京五輪・パラリンピックに向けた「オリンピック・パラリンピック教育」に熱心に取り組んできた。坂西校長は「ボランティアマインド、障害者理解、日本人としての自覚と誇りの3つを中心に、教育活動の中で多様な体験を重ねてきた」と振り返る。

中でも力を入れてきたのが「ふくのわプロジェクト」だ。代表委員会の児童らを中心に、毎年180~220キロの再利用可能な古着を集めた。「コロナ禍で活動が困難になりそうなこともあったが、子供たちが社会につながる活動を続けたいという思いで工夫を重ねてきた」

そうした熱意が認められ、令和3年度には都教委から「オリンピック・パラリンピック教育レガシーアワード校」として顕彰された。

きっかけは「神のお告げ」 山下貴久雄選手(48)

山下貴久雄選手

40歳を過ぎて競技を始めた。きっかけは仕事帰りに東京・赤羽の居酒屋で知人と飲んでいるとき、見知らぬ男性から「君はパワーリフティングに向いている」と声をかけられた。その言葉が気になり、間もなく開かれた選手発掘会に参加。未来のトップアスリートを育てる「Jスタープロジェクト」の3期生に選ばれた。その男性が車いすに乗った自分になぜ語りかけてきたのか。その後、一度も会っていないので理由は不明だ。「神のお告げだったのかも」と笑う。

一方で、趣味の鉄道模型は小学生から。高校2年の時、前脊髄動脈症候群で下半身が動かなくなった。だが、諦めるわけにはいかないとリハビリに励み、友人らに手伝ってもらいながら今では著書もあるほどだ。

この日は児童の前で100キロのバーベルを持ち上げ、「きれいに1回で決まってよかった」とほほ笑んだ。自己の体験を通じて、与えられた状況下で、どうすれば目標に達成できるかを考え続ける大切さを子供たちに伝えた。

「まずやってみる。うまくいかなかったら考える。そして諦めないでほしい」

悔しさバネに日本人最高6位 宇城元選手(51)

宇城元選手

「ウッジーです。俺はパラリンピックに3回行った。ベスト記録は寝っ転がって持ち上げた188キロ」シャツの上からも分かる分厚い胸板で、兄貴のような口調で自己紹介すると、児童から思わず「おおーっ」とどよめきが起きた。

20年以上トップを走り続け、2004年アテネ、12年ロンドン、21年東京の3回のパラリンピックに出場。代表に選ばれなかった大会も悔しさをバネに競技を続けて順位を大会ごとに上げ、東京大会では日本人最高の6位入賞を果たした。輝かしい経歴だが、子供たちに競技に入るまでの道のりも率直に語った。大学4年時、バイクの事故で脊髄を損傷し、26歳でパラ・パワーリフティングの道に進んだこと…。「苦手な部分を克服すればいいんだよ」。その言葉の重みが、持参した東京パラ大会の表彰状に集約されている。

児童たちが恐る恐るバーベルを上げる際、すっかり応援団長となって「強いぞ!」「息を吸い込め」と誰よりも声を張り上げた。応援が力になると知った子供たち。授業後も、帰ろうとする宇城選手の周りに自然と人垣ができ、名残を惜しんでいた。

徹底的に自分と向き合う 成毛美和選手(55)

成毛美和選手

児童らにお手本を見せるデモンストレーションを担当。機敏な動きで、40キロのバーベルを軽々と持ち上げてみせた。先天性の二分脊椎症で、足先にまひがあるという。今は車いすを使っているが、子供時代は健常者と同じ学校に通ってきた。

「体を動かすのは大好きで、不自由ながらも歩いたり走ったりはできたが、体育の時間は他の子と同じようにはできず、活動が制限されることに納得できない思いもあった」

スポーツの楽しみに目覚めたのは32歳のとき。参加した車いすバスケットボールの体験会で、競技用の車いすに乗ったとき「心が解き放たれたように感じた」。自由自在に動き回れる喜びを知り、パラリンピックを目指すアスリートの道を歩み始めた。車いすバスケは約12年間取り組み、出産を機に引退。次に出合ったのが、パワーリフティングだった。

チームスポーツとは異なり「徹底的に自分と向き合うことや、トレーニングの成果によって、持ち上げられる重量が増えていくのが面白い」と魅力を語る。この日の授業で伝えたのは、声援が力になること。児童らの挑戦にエールを送った。

収益金でパラスポーツ支援

「ふくのわプロジェクト」ロゴ

家庭などから寄付された〝まだ着られる衣類〟を専門企業へ売却し、その収益金でパラスポーツ競技団体を応援するプロジェクト。2016年にスタートし、これまで900トン以上の衣類を回収した。回収後の衣類は選別され、世界15カ国以上でリユース販売されている。

寄付方法として、東京都内や横浜市にある専用ボックスのほか、自宅から簡単に衣類を送れる「おうちでふくのわ」(2500円、税・往復送料込み)などがある。

SDGs(持続可能な開発目標)への貢献も目指しており、輸送効率化による二酸化炭素排出量の抑制や、「おうちでふくのわ」における福祉作業所との連携事業も行っている。

詳細は公式サイトから


文・飯塚友子、篠原那美、慶田久幸

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