昨年4月29日に行われた「昭和の日をお祝いする集い」=東京都千代田区

ゴールデンウイーク(GW)は昭和20年代後半、この時期に公開された映画が正月やお盆以上の興行成績を挙げたことから、映画会社が名付けた和製英語である。その後、広く一般に使われるようになった。

今年は最大10連休の企業もあるようだ。かつては、土曜日は学校や会社が午前中だけの半ドンで、振り替え休日もハッピーマンデーもなかったから、GWといっても3連休がせいぜいであった。「昭和の日」が「天皇誕生日」だった頃である。

大阪市阿倍野区の昭和町で毎年4月29日に「どっぷり、昭和町。」というイベントが開催される。昭和の日に昭和町で、昭和の暮らしと文化にどっぷり浸る―。

この辺りは大正末から昭和初期にかけて、大阪が急激に発展して「大大阪」と称された時代に、増加する人口の受け皿として長屋が数多く建てられた。長屋といっても2階建てで板塀に漆喰(しっくい)壁、庭付きの立派な造りで「お屋敷長屋」とも呼ばれる。今でも住宅や店舗として使われており、国の登録有形文化財に指定されているものもある。

昭和町はそんな古くからの家並みが残り、心なしか時間もゆったり流れて、実家に帰省したような懐かしさを感じる。そうだ、昭和は僕らの故郷なのだ。

イベント会場の長屋に入ると、昭和を描いた作家、向田邦子さんの世界がよみがえる。

<朝、目を覚ますと台所の方から必ず音が聞こえてきた。母が朝のおみおつけの実を刻んでいる音である。包丁の響きはいつもリズミカルであった。(刻む音)>

向田さんは「トイレ」や「便所」ではなく「ご不浄」と呼んだ。

<スリッパを片方ご不浄に落っことして、よく叱られた。昔は汲取り式だったから、墜落させたら一巻の終わりだった。(スリッパ)>

家族の食卓は卓袱台(ちゃぶだい)だった。そこに威厳のある父親がデンと構える。

<私は、紙風船を作る宿題が出来なくて、半泣きであった。父は「もう寝ろ」とどなった。朝起きた私は、食卓の上に紙風船がのっているのを発見した。いびつで、ドタッとした、何とも不様(ぶざま)な紙風船であった。(父の風船)>

父は向田さんに向かってよく「女のくせに」と言った。男には男の、女には女のたしなみ、規範が存在した時代の価値観だが、現代ではジェンダー平等で性差の強調は否定される。家族も個人を尊重して、友達のような親子関係が増えた。それでいいのだろうか。

演出家で作家の久世光彦さんは、コラムニストの山本夏彦さんとの共著「昭和恋々」(清流出版)でこう書いた。

「私たちは、昭和のあのころに、何か大きな忘れ物をしてきたような気がしてならない」

来年は昭和100年である。(元特別記者 鹿間孝一)

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