ファッションブランド「メゾン・マルジェラ」のクリエイティブ・ディレクター、ジョン・ガリアーノさんのドキュメンタリー映画「ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー」が公開される。クリスチャン・ディオールのデザイナーだった2011年、反ユダヤ主義発言によって逮捕され、解雇された。後に有罪判決を受けている。それから13年、カメラの前で当時の出来事を自ら語る。監督のケヴィン・マクドナルドさんに見どころを聞いた。
――ファッション業界には詳しくなかったとのこと。ガリアーノさんを被写体としたのはなぜでしょうか。
「(新型コロナウイルス感染拡大によって都市が封鎖された)ロックダウン中に、映画業界でキャンセル(容認されない行動によって社会的に排除)された、俳優、監督、プロデューサーなどの記事をたくさん読んだ。社会がキャンセルされた人々をどのように許すのか、キャンセルから人々がどのように立ち直るのかについての映画を作るのは興味深いと思った」
「最近キャンセルされた人の映画を作るのは、彼らは話したがらないだろうし、とても難しい。しかし、友人が、事件自体はかなり前に起こり、今はキャリアが復活している例として、ジョンを薦めてくれた」
――ガリアーノさんは「洗いざらい話す」と、カメラを真っすぐに見つめて語っています。どのようにして心を開いたのでしょうか。
「撮影を始める前の1年半の間に、信頼関係が築かれたと思う。ズームで何度か彼と話したが、彼が映画を作りたがっているのは明らかで、自分の立場からストーリーを語りたがっていた。彼はいつも慎重に『人々が私を許してくれるとは思っていない。ただ、理解してほしいだけだ』と言っていた。私もそれは本当だと思う。彼は、自分に非がないと説得できるという気持ちではなく、自分の視点から語りたがっていた」
「一度信頼関係ができると、彼は信じられないほどオープンで、『その話題はタブーだ』などと言ったことは一度もなかった。マルジェラのPR担当者は長い間、この映画が進行していることさえ知らなかったと思う。映画とは関係のない、性的な体験についても尋ね、話してくれたほどだ。こういう言い方は不思議かもしれないけれど、ジョンはとても、世間ずれしていないナイーブさのある人だ」
「映画の完成前にジョンには2度見せ、間違っている点を訂正してもらったが、『ここはプレタポルテではなくオートクチュールだ』とか、『1997年でなくて96年だ』とか、その程度だった。(映画の中で、差別発言の被害者である)フィリップがジョンのことを人種差別主義者と言うが、それについて、『削除できるか』とか『それに答えてもいいか』とは一度も言わなかった。彼のナルシシズムかもしれないし、ナイーブさからくるものなのか分からないが、彼が他のクリエーターをとても尊敬していることも一因だと思う。彼は私に、『これはあなたの映画だ。私のアトリエでドレスの色をこの色にしなさいと介入しないのと同じように、あなたの作品にも介入しない』と言っていた。実在の人物を語るときに、これは非常にまれなことだ」
――偏見や差別意識について、また、謝罪とは何か、許すとは何かなど、誰もが無視できないテーマが描かれています。映画を通して伝えたいメッセージは何ですか。
「キャンセルカルチャーへの興味から始まったが、作品はそれ自体が命を持っていて、思わぬ方向にいくものだ。たしかに、いかに許すのかといった要素はあるが、どちらかというと人間の心がいかに謎めいているのか、私たちはいかに人の考えていることを知り得ないのか、ある種、人間の心理の謎を描いた映画になっている」
「人間はとても複雑で、なぜそうするのか分からないことをする。動機は必ずしも合理的ではなく、人間はパーセンテージではかれるものでもない。私の解釈では、ジョンは自分の評判を台無しにする代わりに、自分の命を救った。潜在意識が彼を助けに来たと思っている。ジョン自身も、『人生最悪の日だったが、命を救った』と言っていた。描いたのは人間の持つ曖昧さで、英雄でも悪人でもない。人間は誰しもどちらかというわけではない。才能はあるが、皆と同じように欠陥を抱えながら、正しいことをしようとし、社会に復帰する方法をみつけようとしている人間を描いている」
「それから、ファッションとファッション業界の暗い影についても。世界で最も美しいものはファッションによって作られるが、その背後にある暗い影についても描いている」
――ドキュメンタリーを多く手がけています。ノンフィクションの魅力とは。
「人間の心理の驚くべき多様性を探究できるのがドキュメンタリーだ。アングロサクソン系のフィクションの映画では、ストーリーをシンプルに提示する必要がある。製作費が多い分、最大限多数の人々に楽しんでもらえるものを作らなければいけない結果だ。そういう作品では、曖昧さやニュアンスをじっくり描くことはできない。ドキュメンタリーでは、それを探求することができる。人物であれば、その人について本当に深く知ることができるし、その人の奇妙な側面も含めて理解することができる。常とう句ではあるが、『真実は小説より奇なり』は本当にその通りだと思う。その人物を、ヒーローや悪人と決めつけずに、白黒つけずに見せることができるのだ」
井土聡子
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