毎年秋に行われる将棋王座戦は五番勝負のまっただ中だ。神奈川県秦野市の旅館「元湯陣屋」で行われた第1局では、落ち着いたグレー系の色合いでまとめた挑戦者の永瀬拓矢九段と、藤井聡太王座の明るく光沢感ある藍色の着物の清新さが好対照をなした。
「王座」などの称号をめぐって戦われるタイトル戦では、対局者が和服を着ることが一般的だ。タイトル戦に出られる棋士は一握り。そこで着る和服は棋士にとっても、見る者にとっても特別なものといえる。藤井さんの活躍で将棋人気が高まるなか、棋士の和服も観戦時の見どころになっている。
藤井さんの和服は藍や青のものが目立つ。「反物を色々見て選んでいるうち、自然と増えていった」と藤井さん。中でも暗青色の上田紬(つむぎ)の帯はお気に入りの一つで「締めると気持ちが高まる」と話す。着物を着るようになって1年ほどたってからは、着付けも自分で。長時間におよぶ対局でも崩れないよう着付けるという。
和服において多くの棋士が信頼を寄せるのが、東京都練馬区にある白瀧呉服店だ。5代目当主の白瀧佐太郎さんは、将棋界も和服全体のトレンドに呼応していると見る。
男性は、以前なら落ち着いた濃い茶色などが一般的だったが、水色や緑、藤色や赤まで華やかに。「スーツのように無地同色だったのが、着物と袴(はかま)、羽織まで違う色合いにしてみたり、柄付きのものを取り入れたりされる方も増えました」。また女性の半襟がほぼ白であるのに対し、男性の場合には、グレーや黒、茶など、襟元にもさまざまな色が入る。王座戦の藤井さんの半襟も模様入りの華やかなものだった。「襟元と着物の色のコントラストに注目するとおもしろいかもしれません。例えば竜王戦や名人戦は対局が2日にわたるので、着物は同じでも、襟の色の違いによって印象が変わるのが分かると思います」
一方、女性はアースカラーなど渋めへとシフトした。洋服の感覚で着物を着る人が増えており、洋服で流行った色が追って人気になる傾向がある。「ただし女流棋士には対局だから華やかにしたいという方もいて、個人差が大きいですね」
白瀧さんは、和服も洋服と同じ感覚で選んでもらっていると話す。対局向きの生地というものも特にはない。「和服では小紋などに対し紬はカジュアルとされますが、対局ではどちらでも問題ありません。ただし、対局の場が能楽堂であったり、由緒ある寺院だったりすると、意識される方もいらっしゃいます」。そして、あえて対局ならではの特徴を挙げるとすれば、「思いを背負っている部分かもしれない」と続ける。両親が選んだもの、師匠から受け継いだもの、対局の土地にまつわるものを好む棋士もいる。
白瀧呉服店と将棋界との関わりは、無類の将棋好きだったという4代目の時代、2000年ごろから始まる。棋士から和服の相談を受けたことをきっかけに、つながりが広がっていった。指しやすいよう袖の長さを調整するなど盤上に集中できる仕様に整え、棋士の動きを熟知した着付けでサポートしている。対戦相手と色がかぶらないよう考慮してコーディネートもする。06年には女流棋士の新人登竜門戦「白瀧あゆみ杯」(日本将棋連盟主催、白瀧呉服店後援)も創設し、将棋界と縁を深めた。
白瀧あゆみ杯と時期を合わせて開催しているのが「白瀧文化祭」だ。寄席や和菓子など幅広く和の文化に触れてもらうイベントとして20年以上続けている。棋士同士のトークショーは人気プログラムの一つで、会場は将棋ファンであふれる。トークに聞き入るのみならず、直筆連署入りの扇や色紙を求めるほか、記念撮影には列ができる。今年は高見泰地七段と佐々木大地七段が登場。それぞれ自身のタイトル戦にちなんだ和服をまとって現れた。
高見さんは第3期叡王戦決勝七番勝負第4局(18年)、群馬県の富岡製糸場で着用、4連勝を果たした時の装いだ。準決勝では和服をレンタルして着たが、勝ち進んだらぜひ購入したいと思っていたという。「羽生善治さんが終盤になると袖をめくって指されている姿に憧れていて、まねしたいと思っていたんです」。羽織には裏地に虎や鷹(たか)などが描かれているものを選んで、気持ちを奮い立たせるのだそう。
佐々木さんは第94期棋聖戦五番勝負第1局(23年)、ベトナムのホテル、ダナン三日月で着用したもの。海外で迎えた初のタイトル戦に、師匠である深浦康市九段から譲り受けた着物で挑んだ。深浦さんが王位戦でタイトルを取った時の思い出の一着で、佐々木さんは「私にとってお守りのような着物です」と話す。正座から立ち上がる際につまずかないよう、師匠から教わりながら所作にも慣れていった。
「棋士にとって和服を着るのは光栄なこと。それをステップにして今の自分がある」と高見さん。「見てくださっている方が和服を着られていることもあります。伝統文化を応援するというスタンスもあるように思います」と佐々木さん。将棋の対局をきっかけに和服文化に触れる。重要な一局の真剣なまなざしを映して、装いはより魅力を増すのかもしれない。
ライター 手柴史子
山田麻那美撮影
[NIKKEI The STYLE 2024年9月22日付]
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