奈良文化財研究所による調査・研究によって、高さ約70メートルだったとみられることが分かった東大寺(奈良市)の東塔。示された復元案では初重(1階部分)の幅などが大きく安定感のある七重で頂部を飾る大きな相輪(そうりん)が際立つ。約1300年前、平城京の東側にそびえ建った木造塔の姿が浮かび上がった。
相輪は金属製の装飾物で、露盤や九輪、水煙(すいえん)などの部分からなる。奈良時代に建てられ現存する国宝・薬師寺東塔は笛を吹く天人が彫られた水煙で有名だ。
東大寺東塔の高さについては、平安時代までに成立し南都焼き打ちで失われたとされる「大仏殿碑文」の内容が後世の史料のもととなったと考えられている。今回の史料調査によってその記述が約70メートルとみられることが判明。ただ全体の高さが約70メートルでうち相輪は3分の1超を占めるとなると、相輪が大きくなることからこれまでは約70メートル説を否定する見方もあった。
このため現存する塔や失われた塔を詳細に比較研究し、古代では相輪が大きく造られる傾向があったことを確認したという。
「東大寺東塔は大きな相輪を支えるために安定感のある姿になったのだろう」。そう説明するのは研究に取り組んだ奈良文化財研究所の目黒新悟研究員だ。ではなぜ相輪は大きくなったのか。
東大寺東塔は天平宝字8(764)年に相輪が上げられ、その頃に完成。相輪には聖武天皇が各国分寺の塔に安置することを命じた護国の経典である金光明最勝王経と仏舎利が納められたと伝えられている。目黒研究員はこのことに触れ、「東塔の相輪はそうした重要な部分であるために際立つものとし、思いを込めたのではないか」と推測した。
東大寺東塔の復元研究の成果は、他の古代木造塔についても考える手掛かりとなりそうだ。同研究所では6月29日に平城宮跡資料館講堂で、「東大寺東塔の復元研究」(仮題)をテーマにした公開講演会を予定している。
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