5人そろったバック転や宙返りなどのタンブリング(アクロバット)に、しなやかな身体の動き。音楽に合わせた3分間の演技は見る者の目を奪い、作り込まれた世界観へ引き込む。男子新体操団体競技は、オリンピック種目である女子に比べて認知度は低いものの、その力強さや創造性から「壮大な芸術」と根強い人気を持つ。厳しい練習に選手らを突き動かし、見る者を引き付ける魅力は何か。インターハイ優勝7回を誇る男子新体操の強豪、岡山県立井原(いばら)高校を訪ねた。
岡山県西部、豊かな自然が広がる井原市の県立井原高校。体操用マットが敷かれた体育館を訪れると、選手や監督が目標を書き込んだホワイトボードに「究極の『美』」の文字があった。
「こんなことできるんだ」
昨年8月、北海道で行われたインターハイで優勝。演技終盤では、選手らがフロアの四隅から対角線上を宙返りなどで進んで交差する大技を決め、壮大な音楽に負けない力強さで大歓声を受けた。最後のポーズを決めた瞬間、「これは勝った」。3年の波田地(はだち)陸人主将(17)は当時の感覚を振り返る。
新体操を始めたのは小学生のころ。テレビで井原高校の演技を見て、「人間ってこんなことできるんだ」とクラブチームの見学を決めた。中学生で全国の頂点を狙うようになると、目標と実力、センスの乖離(かいり)を感じた。朝9時から夕方5時までの練習に加え、自宅でも椅子の高さを使った開脚柔軟や、跳躍に高さを出すための筋力トレーニングを重ねた。
「鳥肌が立つような動きを人間が生み出せるのが魅力」。演技中に感じる宙を舞う躍動感と、全員の息が合った「3分間手先足先まで美しい新体操」を追求する。
跳躍の距離、身体の角度など、5人の動きをそろえることは容易ではない。技を行う人の頭上をさらに人が跳び越える組み技や、交差のタンブリングでは、少しのタイミングや位置のずれが命取りだ。練習では3分間の演技を30秒ほどのパーツに切り分け、動画を撮影し確認しながら繰り返し動きを身体にしみ込ませていく。
息も忘れる…濃密な3分間
1つの作品を半年近くかけて作り上げる。候補曲を持ち寄って絞り込み、演技全体の雰囲気、構成を練る。部の立ち上げから25年指導に携わる長田京大監督(51)が目指すのは「美しい新体操」。「芸術的なものは人を引き付ける。『もう一回見たい』という感性が働く作品が理想」と話す。
女子と比較し競技人口が少なく、世界共通の大会がない男子新体操。普及にも取り組んできた長田監督には、プロの男子フィギュアスケーターを幼少期に教えた指導者からかけられた印象的な言葉がある。「フィギュアは昔、『男子がやるなんて』と言われたが、今はこんなにレベルが上がっている。いつかそういう日が来るから、先生も頑張ってください」
「女子だからできる」ではなく、「男子ではもっとこんなこともできる」に挑戦したい。男子では取り入れる学校が少ない、高い柔軟性が必要なI字バランスは井原高校の代名詞の一つにもなっている。ミスなく動きをそろえるだけでなく、柔軟性を生かした流れるような振り付けに独創的な形の組み技を織り交ぜ、曲と動きを融合させる。観客が見入って見入って、3分間が終わったときに息をしていたかも忘れるような―。「それくらいどっぷりはまってもらえる作品にしたい」
「新しいもの作り続ける」
ファンが全国の大会に「遠征」を行ったり、海外からも見学に訪れたりするなど、国内外問わず根強い人気を持つ男子新体操。「どんどん世界に広まってほしい」と長田監督は話す。
「世界の誰よりも男子新体操が好きだという思いを持っています。発展してこそ新体操。新しいものを作ることは指導者を降りるまで続けます」(橋本愛)
男子新体操
音楽に合わせバック転などのタンブリング(アクロバット)や柔軟運動、組み技を織り交ぜて演技し、技術や完成度を競う。女子と異なり、団体競技ではリボンなどの手具は使わない。演技時間は約3分間で、13メートル四方のマット上で行う。
日本発祥ともいわれ、戦時中にパイロットが空中感覚を養うためアクロバット要素を含む体操を集団で行ったことが始まりなどの説がある。日本独自の発展を遂げているが、動画サイト上の演技動画には数百万回再生されているものもあり、海外のファンも多い。全国高体連体操専門部によると、令和5年度時点で男子新体操部がある高校は全国に64校、部員数は445人。いずれも女子の5分の1ほどだが近年は競技者の裾野も広がっているとされる。3年には男子新体操をテーマにしたアニメ作品『バクテン!!』が放送された。
「沼」とは?
没頭することで日常から切り離され、仕事や人間関係の憂いからも解き放たれる…それが「趣味」である。そんな趣味世界の深淵をのぞき込んだ人たちが共通して感じるのが、自分たちは今「沼」にはまっているという感覚。ゴールの見えない収集趣味、創造性が高く技術と知識の研鑽が必要な趣味。現代社会を心豊かに生きるために必要な「趣味の世界」に心酔し、抜けるに抜けられなくなった人たちの、苦しくも楽しい「沼」を紹介する。
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