世の中には、「能力主義(メリトクラシー)」と呼ばれるものが当たり前のように流布しています。能力主義とは、人は能力で評価されるべき、能力の高い者が要職に就き、高い報酬を得るのは当たり前、という考え方です。
しかし、本当にそれでいいのだろうかと、真っ向から疑義を呈しているのが『「能力」の生きづらさをほぐす』(勅使川原真衣著/どく社)です。そもそも個人の能力というのはあいまいで、定義しにくいもの。多くの人は組織の一員として働きますが、そこで求められるのは役割をまっとうすること。組織との相性・組み合わせで発揮する力がより重要であり、個々人の能力ばかり俎上(そじょう)にのせるのは意味がない、というのが本書の基本的な主張です。私も経営組織論を研究している身として、非常に納得感がありました。
著者の勅使川原真衣さんは、外資系コンサルティングファームに勤務された後、組織開発をサポートする企業を自ら立ち上げた方です。一方で2人のお子さんのお母さんでもありますが、数年前に乳がんを発症され、現在も闘病中とのこと。
本書は、すっかり成長して進学や仕事に悩んでいるお子さんが、すでに亡くなった母(著者)と対話するという、不思議な設定になっています。その意味ではフィクションですが、勅使川原さんの豊富な知見に基づく、メッセージ性の強い本になっています。
就活で「能力」を見定めようとする無理
冒頭、就職して1年2カ月たった長男が苦悩する様子から描かれます。就職活動では「能力」を高く評価され、将来を嘱望されて入社したものの、その後はなかなか成果を出すことができません。いつの間にか社内の高評価は一転、「仕事ができないやつ」に変わってしまいます。そんないきさつを、母親の遺影の前で涙ながらに語ります。
これは、社会人1〜2年目の誰もが少なからず経験することでしょう。そして、それは多くの誤解と理不尽を含む問題でもあります。
本書で指摘しているように、そもそも人を「能力」で評価しようという発想が誤りのもとです。就職の面接は学生の「能力」のポテンシャルを見定める場なのでしょうが、わずかな会話で分かるはずがありません。それに、入社早々仕事がうまくいかないからといって「能力がない」と見なすのもおかしい。「能力」はそれほど急激に上がったり下がったりするものではないはずです。
ところが、世の中はますます能力主義に傾いている気がします。成果主義がもてはやされ、忘れられていったのは典型です。そこに違和感を覚えるのはZ世代に限らないでしょう。本書は能力主義のおかしさを的確に指摘しています。個人の「能力」に依存するのではなく、もっと視野を広げて組織全体の能力を考えるべきだという問いかけは、説得力に満ちています。
なぜ面接で「挫折経験」を聞くのか
私も学生たちから就職活動の様子を聞いて、多々思うところがあります。就活面接とはいきなり「能力を示せ」と迫られる場です。まだ働いておらず、どんな部署で何をするかも分からないのに、いったい何を示せばいいのでしょうか。
もっとも、Z世代は長いものに巻かれようとする傾向があるので、たいていは器用に適応します。就活セミナーなどでも、「能力」を誇示するように答える方法を教えられます。面接官に受けそうなトピックを用意し、流ちょうに話す練習までしています。機を見るに敏、という感じです。
昨今の面接では、自身の挫折経験について聞かれることがよくあるそうです。挫折の話から、その人の精神力や忍耐力を推し量ろうということなのかもしれません。
ある学生は「ありません」と回答しました。すると面接官はあきれながら「ちゃんと準備してきなさい」と注意したそうです。当然ながらその学生は不採用となりました。ここまでなら笑い話で済ませられますが、少し続きがあります。
その学生によれば、これまで挫折経験がなかったわけではありませんでした。一番の挫折は親が亡くなったことだと。当人は「面接官は本当にそんな話を聞きたかったんですかね」と言います。そもそも挫折経験とは限りなく個人的なもののはずです。挫折経験を面接官に話すことができることと、その会社で活躍できるかどうかは、はっきり言って関係がありません。
それだけではありません。面接では、「リーダーシップ」や「レジリエンス(回復力・耐久力)」があるかどうかもよく問われます。つまり、就活生は自分の「能力」を上手にアピールできるかに心血を注いでいるわけです。とりわけ今後は、「レジリエンス」のような目新しい言葉は、就活の必須キーワードになりそうです。
ただし、どれほど言葉を盛ったとしても、しょせんは言葉です。少し前、『Z世代化する社会』を読んだという上司世代の方からメールをいただきました。その方の部下は、「私はレジリエンスがあります」とアピールしてきたそうです。ところが一度、仕事上のことで注意をしたら、すっかり萎縮してしまったとか。あのアピールは何だったのかと、嘆いていました。
面接において、「挫折経験」「リーダーシップ」「レジリエンス」などを提示させて、本当に仕事の役に立つのでしょうか。話のうまさを見るのなら、プレゼンは得意だと分かるかもしれません。営業など渉外の仕事に役立つ可能性もあります。しかしそれはあくまでも上辺だけの話にすぎませんし、話のうまさは別の話題でも測定できます。
商材化する「能力」
本書はさらに踏み込み、「能力」というものがビジネスの商材になっていることを克明に記しています。著者が携わっている人材開発業界が、いかに顧客企業に入り込み、人事や個々人の働き方に影響を及ぼしているかが分かります。
ちなみに著者は東京大学大学院で修士課程を修了され、在学中は『知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ』(講談社+α文庫)で有名な苅谷剛彦先生や、『教育は何を評価してきたのか』(岩波新書)などの近著がある本田由紀先生から指導を受けていたそうで、自身の経験に加えてアカデミックな裏付けもあります。
親子間で展開されるコミカルな会話から、社会や会社のあり方に鋭く斬り込みます。「能力」に悩むZ世代、あるいはそれ以上の世代にとっても、自身の働き方を見直す機会になると思います。
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舟津昌平経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師。1989年、奈良県生まれ。京都大学法学部卒業、京都大学大学院経営管理教育部修了、京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。京都産業大学経営学部准教授などを経て、2023年10月より現職。著書に『Z世代化する社会』(東洋経済新報社)、『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房/2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門、2024年度企業家研究フォーラム賞著書の部受賞)、『組織変革論』(中央経済社)などがある。(写真:稲垣純也)
(取材・文: 島田栄昭、取材・構成: 桜井保幸=日経BOOKプラス編集、写真: 稲垣純也)
[日経BOOKプラス2024年8月2日付記事を再構成]
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