仙台駅から西へ約30キロ、仙台市青葉区の仙山線作並駅のホーム上には「交流電化発祥地」と彫られた石碑が建っている。鉄道車両に電気を送る方式には直流と交流があり、JR仙山線仙台―作並間は1957年に日本で初めて交流電化され、営業運転を始めた路線だ。ここで開発された技術は、64年開業の東海道新幹線にも大きく貢献した。
仙山線の沿線にキャンパスを構える東北福祉大(仙台市)が2015年に発行した「図録・仙山線交流電化試験」などによると、日本では戦前から、東京―神戸間などの主要な幹線で直流での電化計画が進められた。ただ、直流は比較的電圧が低いために、5~10キロ間隔で変電所を設置する必要がある。列車の運行本数が少ない路線の電化には、直流は割に合わなかった。
そこで国鉄は53年、すでにフランスで開発が進んでいた交流方式の導入に向けて研究を始めた。東北の鉄道の歴史に詳しい宮城野鉄道研究会代表の佐藤茂さんは、当時の事情について「国鉄はフランスからサンプルとして数両の交流電気機関車を買うつもりだった。しかし条件が折り合わず決裂したために、独自で機関車を開発することになった」と解説する。
翌年、仙山線の設備を使った試験が始まった。仙山線が選ばれたのは、電気機関車の運転に適した送電線が近くにあることや、列車の本数が少なく試験時間を確保しやすいこと、山間部を通る路線で試験走行に適した勾配があることなどが理由だった。
試験用の機関車は日立製作所と三菱電機、東芝が計4両製造した。走行試験を繰り返す中で数々の故障や異常がありながらも、直流電気機関車よりも車輪が空転しにくいという思いがけない利点も判明した。
こうした結果を受けて、国鉄は55年に幹線3300キロの電化を決定し、最初の交流電化区間に北陸本線米原―富山間を選んだ。仙山線で試験をしてきた仙台鉄道管理局は、日本初の交流電化を北陸本線に奪われまいと工事を急いで進め、57年9月5日の営業開始にこぎ着けた。北陸本線の電化開業の約1カ月前だった。
64年に開業した東海道新幹線では交流が使われている。高い電圧で電気を送れるために電流が小さく済み、車両の屋根上の集電装置(パンタグラフ)を小型化できる。それにより軽量化や、高速走行時の騒音を低減できるというメリットがある。佐藤さんが「仙山線で培われた技術は、東海道新幹線の礎となった」と話すように、仙山線は日本の鉄道史に大きな足跡を残した。【小川祐希】
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