私のコラムの読者なら、ワイン用ブドウの品種名としてシャルドネ、カベルネ・ソーヴィニヨン、ピノ・ノワールぐらいは知っているはずだ。だがワイン愛好家なら、これから市場に出てくる数々の新しい品種名も覚えておかなくてはならない。
英大手スーパーのテスコがこの夏「テスコ・ファイネスト・フロレアル」という名前の白ワインを売り出した。広報に聞いたら、なかなかの売れ行きという。
商品名に入っているフロレアルはまさに、覚えておくべき新品種の一つだ。
シャルドネやピノ・ノワールといった有名品種は基本、欧州が原産のヴィニフェラ種に属している。一方、新品種の大半はヴィニフェラ種とアメリカ系、またはアジア系品種との交配品種(ハイブリッド)だ。
育苗家たちは少なくとも2世紀前からハイブリッドの開発に取り組んできた。しかし、初期のハイブリッドはもっぱら収量の維持・拡大が目的だったため、特に20世紀の欧州では大量生産された安くてまずいワインの代名詞になってしまった。
だが今世紀に入り状況は一変した。従来、寒すぎてブドウが育たなかった北欧やポーランド、バルト海諸国は今や、気候変動のお陰で新興のワイン産地に生まれ変わりつつある。とは言え、冬の寒さは依然厳しく夏も短い。そのため気候に適した品種が必要だ。また、雨が比較的多いので、カビ病に強い品種も求められている。
そこで注目されているのが、主に20世紀後半にドイツなどで開発されたカビ病に強いハイブリッド。正式なドイツ語名を短縮してPiWi(ピーヴィー)と呼ばれる。
その一つ「レゲント」は北欧やベネルクス諸国、英国、ドイツなどで栽培され、ドイツでは栽培面積がすでに二千ヘクタール近くに及んでいる。
「フェニックス」や「ソラリス」は北欧の生産者に人気だ。「ソーヴィニエ・グリ」はドイツのほか、フランスでも人気が高まっている。
現代は異常気象が常態化する一方、消費者は農薬を敬遠する傾向にある。病気に強く、従って農薬をそれほど使わなくて済むPiWiは、そんな今の時代に合っているようだ。
ただ、気になる話もある。先日訪れたデンマークのワイナリーの栽培担当者は、ソラリスはすでに何種類かのカビ病への耐性を失いつつあり、育苗家は新たなリスクへの警戒を怠らないほうがいいと警告した。
別の問題もある。消費者がなじみのない名前を受け入れるかどうかだ。
その点、欧州以外の多くの地域では、昔からハイブリッドの栽培が盛んで、それゆえ欧州の人々がハイブリッドに抱いているような偏見が少ない。
例えばカナダでは「ヴィダル・ブラン」など寒さに強いハイブリッドが長年、生産者、消費者双方に愛されてきた。米バージニア州には愛好家から敬意を表されてきた「ノートン」がある。ブラジル南部の湿潤なワイン産地では、「ロレーナ」、「モスカート・エンブラパ」など、ヴィニフェラ種のような風味を持つハイブリッドが栽培されている。湿気の多い日本の固有品種「甲州」もハイブリッドだ。
新品種の命名にはお国柄も出ている。フランスで認可されているハイブリッドには「セレノール」、「ヴォルティス」、「アルタバン」などがあるが、どれも名前からは親ブドウが何なのか想像がつかない。ワイン業界の意向で意図的にそうしているようだ。
逆にイタリアの新品種名には、「カベルネ・コルティス」、「ピノ・コルス」、「ソーヴィニヨン・ネピス」など親ブドウと似ているものが多い。
古くからの愛好家にとっては、イタリアの品種名のほうが、ワインショップよりも薬局で売るのにふさわしい響きを持つフランスの品種名より、間違いなく受け入れやすいだろう。
日本の甲州、MBAも交配品種
欧州のワイン生産者は今、2つの大きな課題に直面している。地球温暖化への対応と、欧州連合(EU)が推進する持続可能な農業への取り組みだ。
両方の課題を同時に解決することは容易ではない。温暖化の脅威の一つは、カビ病や害虫の増加。それを防ぐ最も簡単な方法は農薬を使うことだ。しかし、EUの持続可能な農業は、土壌や生態系に悪影響を及ぼす農薬の大幅な使用削減を農家に求めている。
こうした中、手っ取り早い解決策として白羽の矢が立ったのがハイブリッドだった。
最近のハイブリッド種のワインは実際に飲んでみると、品質レベルは既存の品種と遜色ない。世界的に有名なカナダのアイスワインの主要品種は、ハイブリッドのヴィダル・ブランだ。
日本ワインも実はハイブリッドが多い。白ワインの代表品種「甲州」は謎に包まれたブドウだったが、DNA解析の結果、ヴィニフェラ種と中国系の品種が自然交配したハイブリッドであることが、10年ほど前に判明した。
赤ワインの代表品種「マスカット・ベーリーA」(MBA)は、日本の厳しい自然環境下でも良質の実をならすことができるブドウの開発に尽力した岩の原葡萄園(新潟県上越市)の創業者、川上善兵衛が20世紀前半、試行錯誤の末に交配に成功した。
甲州もMBAもかつてはいまひとつの評判のものも多かったが、栽培・醸造技術の向上や長年の試行錯誤の結果、味わいが各段によくなり、人気も高まっている。
ライター 猪瀬聖(翻訳とも、WSET Diplpma)
[NIKKEI The STYLE 12月15日付]
【関連記事】- ・ティラミスにマリトッツォ、次に来るイタリア菓子は?
- ・東京の新三つ星「セザン」 未来を描く料理人育てる
■取材の裏話や未公開写真をご紹介するニューズレター「NIKKEI The STYLE 豊かな週末を探して」も配信しています。登録は次のURLからhttps://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?me=S004
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。