人形浄瑠璃文楽の世界に4月6日、大名跡「豊竹若太夫」が57年ぶりに復活した。太夫のトップとして文楽界を率いた人間国宝の豊竹咲太夫さんが1月31日に79歳で惜しまれつつこの世を去っておよそ2カ月。先人たちの芸と精神を継ぐ次の世代が作る新たなステージの幕開けに立ち会い、江戸時代から途切れることなく続いてきた伝承芸能の力をひしひしと感じた。
六代目豊竹呂太夫改め十一代目若太夫さん(76)は襲名が決まって以降、取材するたびに、自身の芸は師匠で人間国宝の四代目竹本越路太夫(1913~2002年)にもらった大切な財産だと繰り返した。稽古は震えあがるほど怖かったというが、「愛情がありましたよ。愛があった」と語り、「引退後に一度だけ師匠が『お前のやり方をわしが取りたい』と僕の工夫をほめてくれたんです。あれはうれしかったな」と懐かしんだ。
伝統芸能は師から弟子へ、マンツーマンで芸が継承される。中でも世襲でない文楽は活躍できるかは実力次第で、その厳しくも可能性のある環境が師弟の強固な結びつきを生んでいるように思う。
咲太夫さんもまた、立派に弟子を育てた師匠だった。
昨年12月末、実力派の中堅、竹本織太夫さん(49)に翌月に控えた初役の「俊寛」の取材をしたときのことだ。師匠の咲太夫さんが病床に伏して1年。その間、師の代役や難曲に臆せず挑んできた織太夫さんが、「語ることに恐怖さえ覚える」と不安を吐露したことに驚いた。「今までは師匠に稽古していただいた貯金があった。でもこの演目は一度も稽古してもらったことがないんです」という。
すでにほとんど体を動かせなくなっていた咲太夫さんも弟子を案じ、東京の入院先から毎週電話でアドバイスを送り続けたという。「今の私は師匠が作ってくれたもの。私は師匠の作品ですから」とかみしめるように語っていた織太夫さん。その〝作品〟がもがきながらも大熱演の末に一回り大きく進化したのを見届けるように、千秋楽の9日後、咲太夫さんは逝った。
文楽界では今春、若き演者を養成する「研修生制度」に10~20代の3人が合格した。まもなく研修が始まるが、修了する2年後には心から尊敬できる師匠と出会ってほしい。濃密な師弟関係は煩わしくも愛情と気付きにあふれ、芸という生きた証しを残す豊かな人生をきっと約束してくれる。
田中佐和
平成19年入社。社会部で警察、裁判、行政を取材し、令和3年から文化部。現在は伝統芸能、現代演劇、演芸を担当している。
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