「シニア世代で人気」という風変わりなダンスがある。東京都内にある教室をのぞいてみると、黒いシューズを履いた女性たちがそろって椅子に座り、タンタンタンと床をたたく音を響かせていた。「皆さん完璧です!」。元タカラジェンヌが、張りのある声でレッスンを盛り上げた。
ゴールデンウイーク(GW)の谷間だった5月2日。JR目黒駅前の商業ビルにある「目黒学園カルチャースクール」(東京都品川区)であったレッスンには、40~80代の女性8人が集っていた。
「次は少し難しくなりますけど、くじけないでくださいね」。女性たちは、公式インストラクターで元宝塚歌劇団の苑(その)みかげさん(49)とともに椅子に腰掛けていた。壁に張られた大きな鏡を見ながら自分たちのステップを確認する。踊っているのは「腰掛タップダンス」だ。
三洋電機で会長を務めた井植敏さん(92)が考案し、2011年に大阪市に第1号の教室が誕生。高齢者や足腰に不安がある人も楽しみながら、太ももやふくらはぎなど下半身の筋肉を鍛えられることから、現在は関西を中心に全国で約85教室に広がり、約750人が通う。年1回の発表会には各地から生徒が集い、日々の成果を披露する。今年も大阪で発表会が開かれる。
目黒の教室では、レッスンは月2回で各1時間。6回のレッスンで1曲踊れるようになるのが目標だ。冒頭は20分ほど基本のタップステップを繰り返しながら「腰掛タップダンスの要素の全てが詰まっている」(苑さん)というジャズ調の練習曲をこなす。
タップシューズは、「ボール」と名付けられたつま先部分と、「ヒール」と呼ぶかかと部分に金属板がついており、床を踏み鳴らすと「タンタンタン」と音が出る。ただ、革が硬く、日常生活でスニーカーを履くことの多いシニア世代にはなじみにくい。このため、ソフトな革を用い、布製の接着テープで簡単に脱ぎ履きができる腰掛タップダンス用のシューズを開発した。
GWの谷間のレッスンは、次第に熱を帯びていった。「次はシャッフルステップです。ボールを踏み込むように、蹴って戻す、蹴って戻す」。苑さんの掛け声に合わせ、受講生たちが床を蹴った。
ジャズ調の練習曲を終えると、世界的歌手のレディー・ガガさんの曲や、フラメンコ調の曲などに合わせ、さまざまなタップステップを踏んだ。「足の動きに手も合わせていきましょう」。真剣なまなざしで1曲踊り終えると、受講生らの顔に達成感からか笑みがこぼれた。
苑さんは「最初は苦戦して落ち込む人もいますが、『5回踊ると、光が見えてきますから』と言って、いつも励ましているんです」と語った。
事務局によると、井植さんが腰掛タップダンスを考案したきっかけは、06年に都内で鑑賞したジャズダンスだった。自身は70代半ばを迎えていたが、椅子に座って華麗にステップを踏む若手ダンサーの姿に魅了され、「座った状態であれば自分もできるかもしれない」と思ったという。
早速、タップダンスの講師を訪ね、足腰に体重をかけなくてもできる振り付けをともに考えた。井植さんも、練習を重ねるごとに、ももが太くなり、ゴルフのスコアもアップした。大阪府内の医療機関で測定すると、筋力アップや足首の柔軟性の向上なども確認できたという。転倒やつまずきの予防にも効果があるとする。
「華やかでおしゃれな踊りにしたい」というコンセプトから、全国の教室では、プロタップダンサーや元タカラジェンヌらが講師を務めている。
チーフインストラクターを務める元宝塚歌劇団月組の鷹(たか)悠貴さん(57)は通常のタップダンスとの違いを「ステップ数が少なくて簡単に楽しめる」と説明。また、「筋肉が鍛えられるのはもちろんですが、音楽に合わせてステップを覚え、手と足が違う動きをするので頭を一番使います」と話す。
目黒の受講生たちは、レッスンの最後に流れる「上を向いて歩こう」を踊り終えると、額にうっすらと汗を浮かべた。腰掛タップダンス歴約3年という品川区の佐々木由紀さん(82)は「健康維持のために始めました。できることがだんだん増えていくのが楽しいんです。体力が落ちないように、これからも続けていきたい」と語った。
この日、2回目のレッスンだったという目黒区の白戸敬子さん(75)は「レッスンを終えると、血流が良くなった気がします。月2回ではなく、毎週あってもいいくらい楽しんでいます」と笑った。
「腰掛タップダンス」のホームページには、井植さんからこんなメッセージが寄せられている。「いくつになっても新しいことを始めるのは楽しいもの! さあ、ご一緒に楽しんでみませんか」【木原真希】
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