笠谷さんは1972年の札幌オリンピックのスキージャンプで、冬のオリンピックでは日本勢で初めてとなる金メダルを獲得し、笠谷さんなど日本選手が表彰台を独占した姿は「日の丸飛行隊」としてたたえられました。

笠谷さんは、現役引退後は選手の育成や競技の振興に携わりましたが、先月80歳で亡くなりました。

笠谷さんのお別れの会は26日、札幌市中央区にある札幌オリンピックミュージアムで開かれ、会場のスクリーンには現役時代の笠谷さんの写真が映し出されました。

お別れの会には、スキージャンプの関係者や親交があった人たち、およそ100人が参列して、祭壇に花を手向けました。

また、長野オリンピックのスキージャンプ団体で金メダルを獲得した原田雅彦さんが参列者を代表した追悼のことばで「勝利を追い求めるだけでなく困難に立ち向かい、挫折を乗り越えるための強い決意を身をもって見せてくれました。笠谷さんのスポーツ界、ジャンプ界への思いを継承し、選手たちにとってよりよい環境作りを進めていきます」と述べました。

午後からは一般の人たちも献花に訪れ、スキージャンプの選手で高校2年の女子生徒は「笠谷さんはジャンプ界を作ってくれた大きな存在なので感謝の気持ちと、これからは自分が頑張っていくという気持ちで花を手向けました」と話していました。

札幌市の60代の男性は「小学生の時に日本勢のメダル独占を見てその感動をずっと持っていたので来ました。笠谷さんのおかげでジャンプをする人が増えたのでこれからもそういう子どもたちが増えていってほしい」と話していました。

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