チーム創設以来、初めてチャンピオンシップ・ファイナルを制し優勝した広島ドラゴンフライズ。その歴史を振り返ります。
広島ドラゴンフライズは2014年、広島カープ・サンフレッチェ広島に次ぐ、第3のプロスポーツとして誕生しました。
当初は、練習場所を確保するのに四苦八苦し、県内の体育館を転々としていました。地域密着を掲げ、あらゆるファンサービスを実施しながら、1人ひとりファンを獲得していく毎日でした。試合会場も観客が1000人に満たない試合が続きます。
ただ、初代ヘッドコーチに “ミスターバスケットボール”・佐古賢一 が就任。メインスポンサーもなく、資金に苦しみながらも、若い選手たちにはプロ意識を植え付けました。
チーム運営やファンサービスまで自ら汗を流す佐古の姿は、今のドラゴンフライズの揺るがぬ土台となっています。チームは2017年、所属していたB2西地区で2位に成長しました。
ただ、B1との入れ替え戦に敗れ、あと一歩で昇格はかなわず、佐古ヘッドコーチは責任を取って辞任を表明します。
一方で、その “イズム” を受け継いだのが、当時36歳の 朝山正悟 。しかし、その朝山にいきなり試練が訪れます。2017年、シーズン途中での新ヘッドコーチ解任に伴い、朝山はトップ選手でありながら、ヘッドコーチを兼任する異例の事態となったのです。
あらゆる苦難に立ち向かい、乗り越えたチームは、2020年、B2西地区を40勝7敗と圧倒し、初の地区優勝を達成。翌シーズンからのB1昇格を果たします。
ただ、B1の戦いは想像以上に厳しいものでした。意気揚々と臨んだ2020-21シーズンはB1西地区で最下位。さらにコロナ渦での無観客試合など再び苦難が訪れました。
それでもチームを支え続けた朝山が、今シーズン開幕前に大きな決断をします。
広島ドラゴンフライズ 朝山正悟 選手(引退を表明 去年9月28日)
「心の方が先に、自分自身の中では “けじめ” をつけたところの1つの要因かなと思っています」
「一日でも長く朝山さんとバスケットボールがしたい」―。そんなドラゴンフライズは、シーズン終盤にライバル島根に連勝するなどし、2年連続のプレーオフ進出を勝ち取りました。
そのトーナメントで “奇跡の快進撃” が始まります。初戦、中地区王者の三遠ネオフェニックスに2連勝し、クラブ史上初めてクォーターファイナルを勝ち抜きます。
セミファイナルでは、日本代表を多く要する西地区王者の名古屋ダイヤモンドドルフィンズをねじ伏せると、ファイナルで前回王者との激戦を制し、B2を経験したチームとしてはリーグ史上初めてチャンピオンの称号を手にしたのです。
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