高校野球の育成や発展に尽くした今年度の「育成功労賞」に、神埼や鳥栖工の監督などを務めた石井智久さん(65)が選ばれた。日本高野連と朝日新聞社が表彰しており、6日の全国高校野球選手権佐賀大会の開会式前に盾などが贈られる。
神埼で本格的に野球を始めた石井さんは早稲田大に進学、理工学部の野球部に所属し将来の指導者を夢見て各大学の練習などを見学したという。
化学の教諭として1983年に東松浦(現・唐津青翔)に赴任後、27歳で母校・神埼の監督を任された。「体も動くし、張り切り過ぎたでしょうか」。その時のメンバーとは今でも酒を酌み交わす。
佐賀工で県高野連の事務局を経験し、鳥栖工へ。監督になった2005年当時、チームには納得いかない判定に審判員へ不満を表す選手がいた。08年の夏の大会、3回戦で前年度に全国制覇した佐賀北と対戦。相手びいきの雰囲気の中、鳥栖工の選手が微妙な判定でアウトになった。ベンチに戻ったその選手は「審判がアウトと言えばアウト、次、次」と前向きに叫んだ。「『セーフだろう』と言いかけた自分が恥ずかしかった」と石井さん。2―1で競り勝った。
早大時代に出会った本があった。「甲子園の心を求めて」。都立東大和などの監督を務めた故・佐藤道輔さんの人間育成に力を注ぐ内容の著書は、指導者のバイブル的な一冊だ。「本を読み、泣いたのは初めてでした」。すぐ佐藤さんに会いに行き、教諭になっても交流は続いた。「佐藤さんの教えがあり、その理想に一番近づいたのがあの時の鳥栖工。甲子園に行ったこともなく何の実績もない私が、彼らに教えてもらった」。部長と監督26年の指導歴で得がたい財産になった。
その後、早稲田佐賀の立ち上げにも関わった。「佐賀のルールブック」と呼ばれるほど野球に詳しく、公式記録員などで県高校野球を支える。(森田博志)
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