帰省中に能登半島地震に遭い、自宅を失いながらも、この夏にかける球児がいる。海星(三重県四日市市)の控え捕手、薄井光太郎選手(3年)。「故郷の家族に甲子園出場を報告したい」と前を向く。

 石川県穴水町の実家で家族とくつろいでいた元日の午後、震度6強の揺れに襲われた。外に出ると、自宅が傾いていた。倒壊している家もある。父の克弘さん(47)と近所の高齢女性を助け出したが、別の家の高齢男性は亡くなったと聞いた。

 両親や姉、弟と町内の祖父宅に避難したが、水道は使えず、近所の井戸水を分けてもらい生活した。「野球部の寮のほうが、きちんと食事がとれる」と両親に促され、1月10日に四日市市に戻った。克弘さんの車で金沢市まで移動したが、ふだんは2時間のところが、道路事情が悪いため5時間かかったという。

 中学時代のボーイズチームで、肩の強さが海星の元部長の目にとまり、進学を勧められた。今大会、正捕手は水谷宗太選手(2年)に譲ったが、部員99人の大所帯の中でベンチ入りを果たした。

 穴水町の自宅は取り壊され、両親と地元の高校1年の弟は3月から仮設住宅に住む。「家族のそばにいた方がいいかと迷った。でも、自分が今できるのは、お世話になった人たちを野球で元気づけること」と薄井選手。故郷には正月以後、一度も帰っていない。

 3月中旬、部で集めた支援金を穴水町の両親に届けた森下晃理(あきまさ)監督(47)は、薄井選手について「野球を続けられるか心配だったが、被災後、目の色を変えて取り組んでいる」と話す。

 7日の1回戦、薄井選手に出場機会はなかったが、海星は四日市商にコールド勝ちした。薄井選手は応援に来てくれた両親と夕食をともにした。

 かつて甲子園の常連だった海星は、1999年の春を最後に大舞台から遠ざかっている。2回戦の相手はシード校の昴学園。両親が再び来てくれるかどうかはわからないが、「自分の仕事は、登板前に投手を万全に仕上げて水谷に引き継ぐこと。その先にチームの勝利がある」と信じている。(本井宏人)

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