《基礎情報》田中希実(たなか・のぞみ)選手
これまでにおよそ100回のマラソンを経験している母親の千洋さんの練習を間近に見るなど走ることは生活の一部でした。その一方で、1つのことに集中すると周りが見えなくなることに、ずっと悩みを抱えていました。
授業が終わっても、納得できなければ、1人で作業を続けることも。徐々に集団行動になじめなくなり、周囲の目を強く意識するようになりました。
田中希実 選手「ちょっと変わった子に映っていたかもしれないです。のびのびとできないというか、うまくみんなの輪の中に入れないんだなと感じてた気はしますし、友達とかにも無視されたりすることも学年のはじめにありました。その時から友達の顔色を伺うようになったりとか、でもうまく伺いきれないというか。今の苦しみにもつながってるし、つながってしまってるのかなと思います」
母・千洋さん「周りは成長しても希実だけ変わらないという感じも出てきて、しんどい時もありました。その頃からずっと1人で本を読む方が楽しいというのがあったのかなと思います」
そんな時に出会ったのが、黒柳徹子さんが自身の幼少期をつづった「窓ぎわのトットちゃん」でした。
兵庫県小野市にある田中選手の部屋には、今もほかの黒柳さんの本とともに大切に置いてあります。
主人公のトットちゃんは、小学校に入学すると、まわりから「クラスの迷惑になる」とわずか3か月で退学を命じられました。
(「窓ぎわのトットちゃん」より・原文)「トットちゃんの中のどこかに、なんとなく、疎外感のような、他の子供と違って、ひとりだけ、ちょっと、冷たい目で見られているようなものを、おぼろげには感じていた」
そんなトットちゃんを大きく変えたのが、トットちゃんが転校した学校で出会った校長先生でした。
(「窓ぎわのトットちゃん」より・原文)「校長先生は、トットちゃんに、機会あるごとに、『君は、本当は、いい子なんだよ』といった」「本当の意味は、わからなくても、トットちゃんの心の中に、『私は、いい子なんだ』という自信をつけてくれたのは、事実だった」
トットちゃんにみずからを重ね合わせた田中選手。最も自分らしくいられるのは走っているときだと感じるようになりました。
田中希実 選手「私自身と似てるなって感じて、そのままの自分でいいんだなというのはすごく思えたので、それはうれしかったです。走るというのが当たり前にある生活が楽しかったですし、走ることを通してすごく世界が広がっているという感じがしていました」
そして、初めて出場した3年前の東京オリンピック。
田中選手は、女子1500メートルで予選、準決勝と次々に日本記録を更新。決勝では、日本選手初めてとなる8位入賞の快挙を成し遂げました。
しかし、その後、田中選手は人知れず苦しんでいました。世界選手権では1500メートルでおととしと去年続けて、決勝に進むことができませんでした。
一方で、中長距離の4種目で日本記録を持ち、国内のレースでは勝つのが当たり前。パリオリンピックに向けて高まる期待に応えようと、さらなる結果を追い求める中で、かつてのように純粋に楽しみながら走る時間は、少なくなっていきました。去年冬には、もがき苦しむ胸の内を明かしました。
田中希実 選手「勝とうが負けようが笑顔になれませんでした。走る意味とか、なんで私は走っているんだろうというのがわからない部分が多いです。他者から見られている自分を自分自身がぼんやり見下ろしているみたいな感覚があって、自意識過剰に考えすぎてしまうのがすごい弱さかなと思います」
コーチで父・健智さん「自分がやりたいことじゃなくて周りが求めてることに合わそうとしている自分がいるんじゃないのかなと思い始めていたので、『田中希実を演じてるんじゃないのかな、演じてたらだめだよ』という話をよくしてました」
去年12月、田中選手は黒柳さんを訪ねました。
幼いころから悩んだときに黒柳さんの著書や生き方に支えられてきた経験を踏まえ、自分らしさを取り戻すきっかけにしたいと対談を熱望したのです。
田中希実 選手「徹子さんは小学生のときに、『君は本当はいい子なんだよ』って、言ってもらえたことがずっと根っこのところで自信になってて、自分らしさが失われなかったのかなって思うんですけど」
黒柳徹子さん「自分らしく、あるということは、いくつになっても、私は必要だと思ってる。でもそういうふうにしていると、なんだかかんだかって言う人もいるかもしれない。あの人ちょっと自分勝手みたいなね。でもそんなのは、言いたい人には言わしとけばいいのであって、自分らしく、自分で生きていこうと決めたら、それでいいんじゃないかしらね」
「自分らしく生きていけば それでいい」黒柳さんも俳優になった当初、代名詞でもある特徴的な話し方を否定されたことがありました。
それでも変えられない個性であり、自分のよさだと信じ、俳優を続けてきたといいます。その経験をもとに田中選手に助言を送りました。
黒柳徹子さん「はじめは『個性はいらない』だったのに、『個性化の時代に入りました。みんな個性を出してください』と言われてどうやるのかな、そんなの分かんないやと思って、自分の好きなようにすればいいんだなと思って」「自分らしさってものは、本当のこというと、引っ込めようと思っても引っ込められないものなんじゃないの。だからそんなに、その自分らしくあろうとするのをやめて、みんなの目を気にしたり、他人の目を気にしたり。そんなことは全く必要ないんじゃないかしらと私は思います」
田中希実 選手「もし徹子さんがトットちゃんに会ったら、何か声をかけたいことばってありますか」
黒柳徹子さん「トットちゃんの頃から、大人ですから、いろんなことが変わってるようには見えるけど、ほんとのところは、変わってないと思ってる。それはそれで、まあいいかって。あなたも、あんまりくよくよしないで、十分魅力的なんだから、このままやってればいいって思うように生きた方が夜もよく寝られるでしょ」
田中希実 選手「徹子さんも、トットちゃんのままで、大人になったように、私もニックネームはのんちゃんなんですけど、のんちゃんのままで大人になれたっていうのは全然恥じることでもないし、むしろ喜ばしいことというか。でもそののんちゃんが、周りに迷惑をかけないようにだけは見張っていこうって思いました」
黒柳徹子さん「そうですよね、だからそれでいいんじゃない」
自分らしさを貫き、世界で再び勝負するために。
田中選手が刺激としてきたのが、日本の女子選手として異例となる長距離王国、ケニアでの合宿です。
舗装されていない道を男子のランナーとも一緒に走り、ジョギングのペースはレースのように激しく変動。
年下のジュニア世代の選手に負けることも珍しくないといいます。練習からレベルの高いランナーたちとしのぎを削る日々が原点を思い出させてくれました。
田中希実 選手「本当に毎日サバイバルレースという感じです。前を追いかけるしかないという気持ちにさせてもらって、またチャレンジャーに戻れるというのは一番の刺激かなと思います」
自身の走りについても独自のやり方で磨きをかけてきました。
運動機能の専門家とともにフォームを分析し、腕の振り方や足の運び、ストライドに至るまで改善できないか模索してきたのです。
身長1メートル53センチと陸上選手の中でも小柄な田中選手。
意識しなくても効率よく力を出せる、自分に合ったフォームで走りきることを理想としています。
田中希実 選手「今は理屈抜きで動く野性の走りがしたいと思うようになっています。自分に合ったフォームを使いこなそうと思っていて、まだその感覚を本物にはできていませんが、やっと自分に合ったフォームを見つけつつあります」
田中選手は、6月の日本選手権では1500メートルでスタート直後からほかの日本選手を引き離す独走。
東京オリンピック後、最も速いタイムで優勝しました。7月には世界のトップ選手が出場する国際大会の5000メートルで今シーズンの自己ベストをマークして3位に入り、オリンピックに弾みをつけました。
パリでは東京大会に続いて、2大会連続で1500メートルと5000メートルに出場し、2種目での入賞を目指します。黒柳さんのことばを胸に、困難さえも味わいながら思いをかみしめます。
田中希実 選手「徹子さんが“自分らしく”と言ってくださったことがすごく勇気になりました。自分らしくいることが幸せだと思いたいですし、期間中に不安を感じてもすごく苦しんだとしても、それも本当の意味では幸せ。ありのままの自分でいろんなことを受け入れながら出られているからこそ味わえる幸せをどんな意味合いでも感じたい」
(2024年7月23日「ニュースウオッチ9」で放送)(2024年1月19日「かんさい熱視線」で放送)
▽生年月日:1999年9月4日▽出身:兵庫県▽主な実績:・東京オリンピック1500m 8位入賞/5000m予選敗退・日本選手権 1500m 5連覇/5000m 3連覇・世界選手権(2023年)1500m 準決勝敗退/5000m 8位入賞【自己ベスト】1500m 3分59秒19(日本記録)5000m 14分29秒18(日本記録)
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