パリ五輪に出場する、バドミントン界のエース。でも、メダルは狙わないという。「考えると、マイナス要素になるから」。男子シングルスの奈良岡功大選手(23)が、ふるさとの青森で五輪への思いを語った。

 バドミントンを始めたのは5歳のとき。青森市の浪岡ジュニアバドミントンクラブで、父の奈良岡浩さん(54)が監督をしていた。父と遊ぶような感覚で、クラブに通った。

 「きっかけは覚えてないです。自然に、気がついたら始めていました。羽根を打つのが、単純に楽しかった」と笑う。

 小学生になると、浩さんに言われた1日3千回の素振りを黙々とこなした。父は「嫌になって、あきらめるだろう」と思っていたが、4カ月間ひたすら続けた。熱い思いに父が打たれ、本格的な指導が始まった。

 小中学生のころから全国大会で優勝を重ね、浪岡高校1年のときに全日本総合選手権に出場するなど、将来を期待されてきた。日本大学を卒業して、現在はNTT東日本に所属。昨年の世界選手権で銀メダルを獲得し、世界ランキング上位の存在だ。

 本人は、自身を「攻撃型ではなく、(守備のうまい)レシーブ型」と分析する。どこまでも素振りを続けた子どものころのように、試合でもがまん強く、長いラリーに持ち込むのが得意だ。「相手の体力を削ってから、甘くきた羽根を仕留めにいきます」

 そのために磨いている技の一つは、「野球のチェンジアップのようなスマッシュ」。全力で打つときと同じフォームを見せながら、実は力を抜く。相手から見ると、予想したよりもシャトルの速度が遅くなり、軌道も変わるため、とらえにくくなる。

大舞台への意気込み

 攻撃の幅を広げる奈良岡選手には、五輪のメダルの期待がかかる。だが、大会は「特別視はしていない」という。コロナ禍で試合に出場できなかった時期をふまえて、こう考える。

 「コロナ前は『勝たないといけない』と思って、結果が出なかった。コロナ後は『試合ができるのが楽しい。負けてもいい』と思えるようになった。そうしたら、結果がついてきた」

 大舞台を前にしても、自然体でいられることが持ち味だ。

 「メダルも一緒。初めから目標を立てると、負けたときにマイナスに考えてしまう。メダルを考えなければ、一つ勝っただけでもプラスにとらえられる」

 原点は、幼いころに青森で感じた「楽しさ」。思いは今も変わらない。

 「勝っても負けても、楽しく。五輪ではいろんなショットを出して、自分のプレーを出し切りたいです」(渡部耕平)

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