2大会連続のオリンピックとなった松元克央選手は、得意種目の男子200m自由形で決勝進出を果たし、予選敗退で大きな悔しさを味わった東京オリンピックから意地を見せました。

「東京オリンピックの借りはオリンピックで返すと思ってずっとやってきた。初心に帰ってチャレンジャーとしてパリに臨みたい」

強い思いを語ってきた松元選手、その原動力となっているのは3年前の東京大会での悔しい経験です。

松元選手は2019年の世界選手権200メートル自由形で、この種目で日本選手初のメダルとなる銀メダルを獲得し、一躍、東京大会の金メダル候補に名乗りを上げました。

メダル獲得だけを目指してひたすら厳しいトレーニングに打ち込んできた松元選手。

しかし、結果は予選敗退。

当時のことについて「とにかく金メダルのことしか考えていなくて、それがすごくプレッシャーになっていた。水泳をやるのが苦しくなっていたし、楽しめていなかったと今は感じる」と振り返ります。

水泳への向き合い方を変更 “楽しむ”

パリの舞台で雪辱を期すため松元選手は水泳への向き合い方を根本的に変えることにしました。

松元選手は「東京大会の時は“オリンピック”や“メダル”を意識しすぎてしまっていた。深く考えずにリラックスして、水泳を楽しみながらやることはやってオリンピックに臨みたいと東京大会の経験を経てそういう結論に至った。楽しみながらじゃないと、僕はもう水泳ができないなと思った」と語りました。

東京大会での悔しさを晴らそうと自分自身の変化をはかってきたこの3年間。

パリ大会を迎えた松元選手は「チームを引っ張る存在でもあるし、何か残すような立場でもあると思う。僕がメダル獲得に向かって突き進む姿を見せられたら感じるものはあるかなと思う。いつもどおりの姿を見せて、世界と戦う意識を常にみんなに持ってもらいたい」と話していました。

目指したメダル獲得はなりませんでしたが、レース後に「この3年間に悔いはない」と話した松元選手。

27歳、競泳日本代表の副キャプテンが見せた泳ぎは、必ずや次の世代の道しるべとなるでしょう。

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