渡辺のメンタルに限界が…

初出場の東京オリンピック後、パリへの道のりは順風満帆ではありませんでした。
戦い続けるなかでおととしの秋ごろ、渡辺勇大選手のメンタル面が限界に来ていたのです。

渡辺勇大
「単純にバドミントンが楽しくなくなった。理由は分からないが勝たなきゃいけないプレッシャーをどこかで感じていた。好きで始めたバドミントンもここまでくればしんどいことが多いが、自分自身のメンタルが耐えられなくなった」

ペアを組む東野有紗選手は渡辺選手の休養を受け入れ、2人は大会への出場を見合わせることにしました。

パリオリンピックの出場権をかけたポイントレースを控えるなか、リスクのある決断でしたが、東野選手はパートナーを信じて待ち続けました。

東野有紗
「信じて待つしかないので。自分は勇大君が帰ってきた時に昔よりも強い自分でいたいと思っていた。不安はあったが自分自身はちゃんとやろうと」

中学時代からのペア 互いに遠慮があった

翌年、競技に復帰した渡辺選手。
2人の関係性には大きな変化が生まれていました。

ペアの結成は中学時代。
長く組んできたからこそ互いに遠慮があったことに気付き、パリ大会に向けては弱みやマイナス面も包み隠さず言い合うことを決めたのです。

渡辺勇大
「長く組んできたからこそ、パートナーに迷惑をかけたくない気持ちがどんどん強くなっていった。お互いがどこか気をつかい、いい時はいいけど悪い時は自分で抱えてしまっていた。マイナスな部分をオープンにするというのが、もう1つ殻を破るために必要だった」

東野有紗
「勇大君に話すことで自分自身の弱みも受け入れられたりする。自分の中ではすごくバドミントンが楽しめるようになった」

以来、2人は苦しい場面では互いに弱い部分をさらけ出して支え合い、再びオリンピックの舞台に立ちました。

明るいムードメーカーで1学年上の東野選手、一方でマイペースの渡辺選手。
自分たちを“真逆の性格”と語る2人が中学時代にたまたまペアを組んでから13年。

ペア結成13年 絆深め再びつかみ取った銅メダル

心から望んでいた金メダルはならなかったものの、絆を深めて再びつかみ取った銅メダルには前回とはまた違った価値が込められています。

銅メダルを獲得した3位決定戦

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