陸上競技男子400mは1992年バルセロナ五輪が、日本勢の決勝に進んだ唯一の大会。高野進が8位に入賞した。前年の世界陸上東京大会に続く高野の快挙で、“ファイナリスト”という言葉が定着した。パリ五輪では32年ぶりの男子400mファイナリスト誕生が期待されるが、高野の時代と違うのは複数の選手に可能性がある点だ。
昨年の世界陸上ブダペスト予選で44秒77と、高野が32年間持っていた日本記録を0.01秒更新した佐藤拳太郎(29、富士通)。ブダペストの準決勝で44秒88の日本歴代3位をマークし、決勝進出まで0.18秒と迫った佐藤風雅(28、ミズノ)。そして日本選手権2連勝中でブダペスト準決勝3組3位、あと1人で決勝に進出できた中島佑気ジョセフ(22、富士通)。代表3人全員が決勝進出を現実的目標としている。
そして3人が出場する4×400mリレーは、過去のオリンピックでは2004年アテネ五輪の4位が日本の最高順位。五輪初のメダル獲得への機運が高まっている。
東京五輪の4×400mリレーから時代が動き始めた
低迷していた男子400mが上昇機運に転じたのは、21年東京五輪の4×400mリレーがきっかけだった。
東京五輪400mはウォルシュ・ジュリアンただ1人の出場で、予選を突破できなかった。だが4×400mリレーは予選で3分00秒76の日本タイをマークした。1走から伊東利来也(25、三菱マテリアル。現住友電工)、川端魁人(25、三重教員AC。現中京大クラブ)、佐藤拳太郎(29、富士通)、鈴木碧斗(23、東洋大2年。現住友電工)のメンバー。予選2組5位で惜しくも決勝進出を逃したが、エースのウォルシュを起用しないメンバーでの日本タイは、翌年以降への希望が膨らんだ。
日本記録の3分00秒76は、96年アトランタ五輪5位のときに日本チームが出した。04年アテネ五輪で日本チーム過去最高の4位になったが、記録は3分00秒99で惜しくも日本記録を更新できなかった。
パリ五輪400m代表3人のうち、東京五輪を走ったのは佐藤拳1人だけだが、佐藤風と中島も五輪イヤーの出来事が大きな刺激となっていた。
佐藤風は五輪代表選考会の日本選手権で5位。4×400mリレーメンバーが1~4位を占めたレースだった。佐藤風は22年に日本選手権に優勝しても満足しなかった。さらに上を目指す理由を問われて答えたのが、前年の日本選手権3位の成績から代表入りを狙っていた21年の経験だった。
「東京五輪の代表漏れがショッキングで、自分の弱さを痛感していました。リレーの代表入りができたら、と考えていたこと自体が上位選手たちに負けていたと思います。そこで気持ちを入れ直して、個人でも世界で戦うことを本気で考え始めました」
中島は21年日本選手権で8位。佐藤風のように、あと少しという成績ではなかった。だが3位でメンバー入りした鈴木とは東洋大で同学年。100mや200mのスピードがあり、400mでも前半から速いペースで走る鈴木と、前半のスピードはそこまで速くないが、後半に強い中島。タイプは対照的だが大学同期の活躍に、“次こそは”の思いを持ったに違いない。
世界陸上オレゴン4×400mリレーの4位&アジア新記録
翌年の世界陸上オレゴンで、日本の400mチームの勢いが加速した。
まずは個人種目の400mで、ウォルシュと佐藤風の2人が準決勝に進出した。高野が91年世界陸上東京、92年バルセロナ五輪と連続で決勝に進出したが、五輪&世界陸上とも日本選手2人が準決勝に進出したことはなかったのだ。
そして4×400mリレーは予選、決勝とも1走に佐藤風、2走に川端、3走にウォルシュ、4走に中島のメンバーで世界に挑んだ。
決勝は1走の佐藤風が5番手だったが、2位~7位が0.45秒差の混戦で2走の川端につないだ。川端は6位に後退し、4位のベルギーと10m前後の差が開いた。しかし3走のウォルシュが43秒91と、日本選手では高野に次いで史上2人目の43秒台のスプリットタイムで走破。フランス、トリニダードトバゴを抜いて4位に浮上した。アンカーの中島はトリニダードトバゴとボツワナに差を詰められたが、危なげなく逃げ切った。
2分59秒51のアジア新記録。メダル獲得はできなかったが、アテネ五輪と並ぶ過去最高順位の4位を達成した。初の代表で結果を残した佐藤風と中島は「次は個人で決勝進出。4×400mリレーでメダル獲得」と口を揃えた。
オレゴン代表を逃した佐藤拳が再起
走ったメンバーだけでなく、走らなかった選手にもオレゴンの結果は刺激を与えた。佐藤拳は22年の日本選手権は決勝に残れず、15年以降続けていた五輪&世界陸上の代表入りが途切れてしまった。アキレス腱の痛みの影響だったが、28歳となるシーズンで引退も考えたという。
そこに、オレゴンの4×400mリレーの快走である。
「一緒に練習してきたメンバーが世界の舞台で4位。次は彼らと一緒にメダルを取りたい、と強く思いました」
昨年のシーズンイン直後の試合では「今年(23年)は個人でも代表を狙います。44秒台を出した先に、4×400mリレーのメダルがある」とコメント。6月の日本選手権は中島と佐藤風に敗れ3位だったが、7月のアジア選手権に45秒00の日本歴代2位で優勝。11月に29歳となるベテランが、400mを牽引し始めた。
そして冒頭で紹介したように、世界陸上ブダペストで佐藤拳が44秒77と高野の日本記録を32年ぶりに更新。史上初めて3人が準決勝に進出した。
だがメダルを狙った4×400mリレーは予選落ちに終わった。パリ五輪に向けて日本400m勢の成長を示したが、課題も残した世界陸上ブダペストだった。
「400 mという種目が変わる時代」の目撃者に
パリ五輪の期待はバルセロナ五輪の高野以来、32年ぶりの五輪がファイナリスト誕生だが、3選手への期待の大きさはまったく同じと言っていい。
佐藤拳は日本記録保持者というだけでなく、海外の国際試合に強い。44秒台2回が世界陸上の予選と準決勝、自己3番目の45秒00がアジア選手権優勝記録だった。
もう1つは、人間力とでもいうべき経験の蓄積が強さにつながっている。15年以降、22年を除いて五輪&世界陸上の代表入りを続けて来たが、その間15年に出した45秒58の自己記録を更新できなかった。練習方法を見直し、アキレス腱の故障対策を見つけ出し、レース戦略を大学院に行って研究してきた。以前は200mまでのスピードにこだわって強化してきたが、今は200mから300mでポジションを上げる走り方になっている。
佐藤風も苦労人である。中学、高校と全国大会に行けなかった選手が、大学で全国レベルに成長した。しかし大学卒業後はフルタイム勤務の競技環境で、練習時間や活動予算に制限が大きかった。それでもオレゴンで結果を残し、昨シーズンから実業団トップチームの競技環境をつかんだ。
大学時代から前半のスピードを重視し、世界トップ選手に引けを取らない前半型のレースパターンを作り上げた。
中島は対照的に後半型の選手。最後の直線では世界トップ選手間でも有数の強さを持つ。自己記録は45秒04で44秒台はないが、記録の上位10パフォーマンスの平均は3人中最も高い。ブダペストの準決勝の着順は(3組)3位と最もよかった。
今季からバルセロナ五輪金メダリストのクインシー・ワッツ氏を専任コーチに付けた。練習拠点を米国カリフォルニアに移し、マイケル・ノーマン(26、米国。世界陸上オレゴン金メダル)らと一緒に練習をしている。後半の強さは維持したまま「前半の200mを少ないエネルギー消費で通過できる」ようになった。
3人とも「44秒50以内の日本記録を準決勝で出す」(佐藤拳)ことを、決勝進出の目安と考えている。日本勢にとって32年ぶりに決勝進出の壁を突き破ることが一番の目標だが、あわよくば2人のファイナリストを出すことも想定している。
それを実現させられれば、「2分58秒台を確実に出す」(中島)という4×400mリレーの目標記録をクリアし、史上初のメダル獲得も実現させることができるはずだ。
佐藤風が熱く語ったことがあった。
「以前は400mは日本人には無理だって言われていた時期がありましたが、僕らが決勝に残ってそれを覆えせる状況になってきました。日本のリレーと言えば4×100mリレーでしたが、4×400mリレーも戦えることをオレゴンで示しました。今はメダルが現実的な目標になっています。僕個人だけでなく、400mという種目が変わる時代にいることが本当に楽しいですね」
日本の五輪出場選手第1号は三島弥彦で、1912年ストックホルム五輪の100m、200m、400mに出場した。先人が紡いできた歴史を、パリ五輪トリオが新たな展開に持ち込もうとしている。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
※写真は左から中島選手、佐藤拳選手、佐藤風選手
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