宿舎のテレビで
地元部員「甲子園にたどりつけるのか」
宮崎商業の選手たちが今回の地震を知ったのは宿舎のテレビで放送されていたニュースだったといいます。地元の人たちは、そして家族は無事なのか。不安を抱える選手もいたといいますが、それでも「地元に少しでも勇気を届けられるような試合をしよう」と、全員で話し合ったといいます。
一方、地震発生当時、地元に残っていた部員たちもいました。マネージャーを含む24人の部員は8日の夕方に出航するフェリーで甲子園に向かう予定で、一度学校の校庭に集合しバスに荷物などを積み込んでいました。まさにそのさなかに発生した地震。当時、校庭にいた2年生の國部心音選手は、携帯電話のアラート音が鳴り、地面が大きく横に揺れたと話します。「やばいなと。自分の身の危険も感じましたし、一番不安だったのは、無事に甲子園にたどりつけるのかどうかということでした」乗船予定のフェリーは欠航。急きょ移動手段をバスに代え、およそ14時間かかったものの無事、甲子園球場に到着しました。交通機関にも地震の影響が出る中、アルプス席には部員だけでなく、保護者や吹奏楽部の生徒など地元からおよそ1100人が駆けつけました。
地元の思いを背負った宮崎商業の初戦。選手たちは過去7回の優勝を誇る名門、中京大中京高校と一歩も引かずに渡り合います。4回には2点を先制されましたが、6回には8番の小倉侑大選手が同点に追いつくタイムリースリーベース。7回にはここまで好投を続けてきた上山純平投手のタイムリーでリードを奪い、中京大中京を追い詰めます。そのウラに再び逆転を許しましたが、最後まで諦めない粘り強さが強く印象に残りました。
小倉選手は、「県民の方に勝利を届けたかったが、それができずに残念です」と悔しさをにじませ、上山投手も「なんとか県民に勇気を与えられる試合をしようとみんなで話していましたが、最後、勝利に結びつけられず悔しいです」と地元への思いを口にしました。橋口光朗監督は、「選手たちの粘り強いプレーで元気を与えられたと思う」と選手たちをねぎらいました。不安を抱えながらも戦い抜いた選手たち。勝利にはあと一歩、届きませんでしたが、その粘り強く、堂々とした戦いぶりは地元・宮崎にもきっと伝わったはずです。
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