第106回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)に出場した鹿児島代表の神村学園は、終盤に得点を挙げる「後半に強い神村」として高校野球ファンに強い印象を残した。学校としては初めて、県勢としては30年ぶりとなる決勝進出こそ逃したものの、県勢で初の2年連続4強入りをなしとげた。甲子園での軌跡を振り返る。(宮田富士男)
鹿児島大会でのチーム打率は4割3厘で、49代表校のなかで最高だった。その強力打線が甲子園でも力を発揮した。
5試合中3試合で7点以上を挙げた。4番正林輝大選手(3年)は思うような結果を残せなかったが、5番岩下吏玖選手(3年)が計8安打、6番上川床勇希選手(3年)が計11安打を放つなど、打線全体でカバーした。
投手の活躍も目立った。エース今村拓未投手(3年)は3試合で完投。敗れはしたものの、準決勝の関東第一(東東京)戦は六回まで無安打に抑えた。背番号10の早瀬朔投手(2年)も岡山学芸館戦で完投。大社(島根)戦では救援登板で相手の好機を断ち、勝利に貢献した。
ベンチには、試合に出る選手以外にスペシャリストがそろっていた。三塁コーチャーの川内淳太郎選手(3年)、声出しで盛り上げる小山琳太選手(2年)、声かけで選手をリラックスさせる木下蓮太朗選手(2年)らだ。ベンチ入りメンバー20人の総合力と選手の能力を引き出す小田大介監督の采配が、2年連続4強を可能にした。(宮田富士男)
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神村学園の選手たちが22日夕、鹿児島県いちき串木野市の同校へ帰って来た。選手たちを乗せたバスが到着すると、部活動で登校していた生徒や保護者ら約300人が拍手で出迎えた。
出迎え式で川下晃汰主将は2年連続の4強進出を報告し、「みなさんの応援がなければ出せなかった結果です」と謝意を述べ、「1、2年生が優勝旗を持って帰ることができるよう引き続き応援をお願いします」と話した。(宮田富士男)
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神村学園の小田大介監督が主将に求める役割は明確だ。
まず「監督の分身であれ」。監督の考えや方針を理解し、不在のときは代わりに選手たちに指示する。反発を招くことがあってもだ。
そして、怒られ役。小田監督は練習中に選手の気が緩んでいると感じると、主将にかみなりを落として引き締める。練習中のミスでも、宿舎の電灯の消し忘れでもそう。「監督さんからは怒られてばかりです」と川下晃汰主将(3年)は話す。
甲子園での2回戦を2日後に控えた13日の練習。代打の想定でシートバッティングの打席に入った川下主将が最初のストライクを見送ると、小田監督は声をあげた。「おいキャプテン、お前がやらずに誰がやるの、このチーム」
次のストライクを振り抜くと、打球は右中間を破り三塁打に。小田監督は拍手を送った。「怒られてもしゅんとせず、『やってやる』という気持ちでバットを振りました」と川下主将。
怒られたときにどう振る舞うか。それが「怒られ役」に求められる真の役割だ。
電灯の消し忘れなら、注意喚起する、消し忘れがないかどうか見回る。それがほかの選手の手本になる。
野球部に主将の選考規定はない。そのときの事情で選ぶ。川下主将の場合、新チームになって自ら手をあげた。中学時代は長崎県諫早市のクラブチームで主将をしていた。高校でもチームを引っ張りたい。そう思ったからだ。
だが、部内の競争は激しく、レギュラーに定着できなかった。はじめはレギュラーに指示するのに遠慮があったが、小田監督から「キャプテンの役割を果たすのに、レギュラーかどうかは関係ない」と諭された。練習に一番乗りして準備し、率先して声を出してチームを引っ張ってきた。
背番号は12。今春の選抜大会では作新学院戦で左翼手の上川床勇希選手(3年)が投手で先発登板した際、左翼に入り適時打を放った。だが、今大会では岡山学芸館戦で途中から左翼を守ったのが唯一の出場だった。
最後の夏が終わった。めざしてきた日本一に届かなかったのは悔しいが、主将としては「3年生全員が『お前がキャプテンでいい』と認めてくれたので、やってこれた」と仲間に感謝した。
「監督の分身として、怒られ役として、本当によくやってくれた。あの子がいなかったらこの結果はなかった」。役割を果たした主将を小田監督は惜しみなくたたえた。(宮田富士男)
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神村学園の今大会の対戦結果
1回戦 8―5木更津総合(千葉)
2回戦 4―3中京大中京(愛知)
3回戦 7―1岡山学芸館
準々決勝 8―2大社(島根)
準決勝 1―2関東第一(東東京)
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