県出身のハンドボーラー・東江雄斗選手。出場が有力視されていたパリオリンピック™の代表から落選後、初めてカメラの前でその思いを語りました。今どんな思いでハンドボールに向き合っているのでしょうか。

▽東江雄斗選手
「正直今回の講習会は、僕が何かを伝えることはちょっと今の段階では…、心の底から伝えられることが今の気持ち的にはなかなかできないと思うので、逆に元気をもらおうかなっていう」

「子どもたちの講習会ではあるんですけど、僕のための講習会でもあるのかなって」

講習会に臨んだ東江雄斗(8月4日)

4日、ハンドボール教室に参加するため帰郷した東江雄斗(31)。パリ五輪への出場が有力視されていたなか、6月。周囲も驚く思わぬ展開が待っていました。

パリ五輪代表から、落選。

▽東江雄斗選手
「話を聞かされた時は頭の中が真っ白というか、何も考えられない状態だったし、正直落選してからは、ハンドボールのことなんて何も考えたくないというか、一旦ハンドボールから離れたいなというのは、ありました」

大学時代から8年以上選出され続けた日本代表。オリンピック・アジア予選では代表キャプテンとして、36年ぶりとなる自力での五輪出場権獲得に貢献。

日本代表としてのキャリアを重ねてきた東江雄斗選手




しかし、昨シーズンの途中、右足のアキレス腱を痛めました。

▽東江雄斗選手
「それがなかなか完治しないままトレーニングをしていて、正直ちょっと思うように動けなかったかなというのはあったんですけど、それでもやれることは全力でやろうと思って代表合宿には挑んでいました」

代表落選から1か月以上たっても、自身のSNSですら、落選についての思いは語ってこなかった東江。

「前を向いていかないと」

地元沖縄でその思いを語り始めたのは、家族の存在が近くにあったからかもしれません。

▽雄斗選手と母・功子さん
雄斗選手 「31歳になっても怒られる」
功子さん 「(笑)きのう帰ってきたのに私と会ってないんですよ、ひどくないですか」

「最近私たちの家ではなく、お兄ちゃんの家に帰るので。自分の実家じゃなくて、なんじゃそりゃあ!」

母 功子さんと雄斗選手

定期的に開催する東江兄弟主催のハンドボール教室を、五輪開催中にあえて開いた兄・太輝選手はー

▽兄・太輝選手(琉球コラソン主将)
「沖縄に来て少しでも羽を伸ばしてくれたら、って感じで」
「みんな雄斗を憧れの目で見ると思うので、そういったものを再認識してもらって雄斗には次に向かって頑張ってほしい」

失意の弟を支えた兄・太輝選手(琉球コラソン主将・左)


「コラソンの練習にちょっとお邪魔してリフレッシュ感覚でハンドボールをさせてくれたし、自然とハンドボールに戻れるような環境を家族が作ってくれたので」

「そこでやっぱり自分にはハンドボールしかないと、改めて再確認できた」

来週開幕するハンドボールの新リーグ「リーグH」で(今季からの新リーグ名称)ジークスター東京の一員として新たなシーズンに臨む東江。

▽東江雄斗選手
「今シーズン、“覚悟”をテーマにしてやっている」

「どんなことにも流されず、やると決めたことをしっかり全うしたい気持ちがある。じゃないと自分で自分を超えることができないんじゃないか」

ハンドボールの楽しさを味わって、勝負の舞台に立つ覚悟を決めた東江。そのプレーで観客を魅了する、新たなシーズンが始まります。(取材 下地麗子)

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