サーフィン女子の松田詩野(22)はパリオリンピック™閉会式でメダルラッシュとなったレスリング代表陣との交流機会があり、笑顔を覗かせた。その奥ではフツフツと沸いた強い決意があったという。初めてのオリンピックを戦い終えたサーフィン女子、不屈のヒロイン・松田詩野選手をキャスターのシドニー五輪マラソン女子金メダリスト・髙橋尚子さんが取材した。練習拠点となる海辺での取材は松田の笑顔から始まった。
松田詩野:
お久しぶりです
Q(高橋尚子).
相変わらず海が似合いますね
挫折を乗り越え、初の大舞台に挑んだサーフィン界・不屈のヒロイン、松田詩野。今回のオリンピックでサーフィンの会場となったのは、パリからおよそ1万5000km離れたタヒチだった。最大7m、世界最恐とも言われる波の攻略には、波の中を潜り抜けるチューブライディングの技術が必須であった。そのため、松田はチューブライディングの練習を重ねるため、現地タヒチに何度も足を運んだ。
松田:
準備をたくさんした分、もう早く試合をしたいというワクワク。やっと試合でこのタヒチの海でサーフィンができる幸せってくらい感じていた。
初の大舞台は好調の滑り出しも
日程の延期が重なる中、試合を待ち望んでいた松田。競技初日、開始早々チューブライディングに成功し高得点をたたき出した。
Q.パリ五輪での思い出は?
松田:
初めてのオリンピックの大会で最初のヒートで8点台、エクセレントスコアの波を乗れたのは、練習でもあんなに長いチューブは抜けていなかったのですごく印象に残っています。
さらに2日目には、残り10分を切ってもあきらめずチューブの中を潜り抜け、逆転で3回戦進出を決めた。まさに、勝つための準備に重きおいた事が結果となった。しかし、ベスト8を決める3回戦では攻めきれず、9位タイと悔しい結果で自身初のオリンピックが終わった。
「もっと成長したい」
大会を終えて松田が感じた事とは…
松田:
悔いももちろん残る大会だけど、さらにもっと成長したいと思わせてくれる大会だった。
「もっと成長したい」そのきっかけをくれる出逢いがあった。サーフィン日本勢でただ一人、閉会式に参加した松田。そこで初対面のレスリングの選手から声をかけられ、仲間に入れて貰い、記念撮影の輪に入った。今大会11個のメダルを獲得したレスリング勢。彼らに囲まれて松田の心は大きく動かされた。
Q.メダルを獲った選手などを見ると、よし!って思ったりする?
松田:
実際にそのメダルの輝きとか重さを見て、自分も次は絶対オリンピックでメダルを獲りたいなって。すごいやっぱオリンピックでメダルを獲る事の価値をそこで感じたので…パリはそこで終わって、次はロサンゼルスっていうそこで自分の気持ちも切り替わった気がしました。
刺激もたくさん受けた。
松田:
他の競技の方と話すと違うじゃないですか、メダルが当たり前の競技もあるからそれがすごい…新しい刺激で…
松田詩野、再出発。新たな決意を胸に4年後への挑戦は、もうすでに始まっている。
松田:
ロサンゼルスオリンピックではメダル!(パリでは)オリンピックを楽しむ事が出来て…でもやっぱり、終わってみてメダルを獲れなかった悔しさがこみあげてきて…メダルを獲って自分もいろんな人に見せたいと思った。
Q.まだまだチャレンジャー…
松田:
はい、チャレンジャーです。一生チャレンジャーです。
松田詩野(まつだ・しの)
プロサーファー。2002年8月13日生 神奈川県茅ヶ崎出身。初出場のパリ五輪は9位タイ。
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