沖縄と甲子園の歴史
県立首里高校が沖縄県勢として初めて甲子園の土を踏んだのは、今から66年前の1958年。
沖縄がまだ戦後の米国統治下にあった時代、球児たちが持ち帰った甲子園の土は、検疫のため沖縄には持ち込めず、船の上から捨てて処分したという “事件” もありました。
まだ「本土復帰」前だった1968年に、興南高校が県勢初のベスト4入りを果たし “興南旋風” を巻き起こすと、1990年と1991年には栽弘義監督率いる沖縄水産が2年連続で夏の甲子園決勝に進出。それでも全国制覇には一歩届きませんでした。
1999年、沖縄尚学がセンバツ甲子園で悲願の県勢初優勝を成し遂げると、2008年には同じく沖縄尚学が2回目のセンバツ制覇。そして2010年には興南高校が春夏連覇の偉業で夏の甲子園県勢初優勝を飾りました。
「大臣が先か、甲子園優勝が先か」と言われるほど県民を熱狂させ続けてきた甲子園。
今回、RBC琉球放送70周年記念番組の特別企画として、沖縄の高校野球の歴史を変えた2人の左腕の対談が実現。2人とっての甲子園とは。今も胸にある恩師の教え、そしてこれからの沖縄高校野球の未来とは…。番組の放送を前に、1時間以上にもわたる2人の対談の全容を紹介します。(聞き手:RBCアナウンサー片野達朗)
■対談者プロフィール
比嘉公也 氏
沖縄尚学高校野球部監督。1999年のセンバツ大会にチームのエースとして出場。県勢甲子園初優勝を成し遂げる。2008年には監督として2度目のセンバツ制覇。
島袋洋奨 氏
興南高校野球部コーチ。2010年に興南高校のエースとして、当時史上6校目となる春夏連覇を達成。現在は恩師・我喜屋優監督のもと、指導者としての経験を積む。
比嘉公也×島袋洋奨 の対談は “初”
ーこうして2人で、テレビカメラの前で話をする機会は
比嘉:あまりないというか初めてですね。
島袋:緊張します。
ー島袋洋奨さんが沖縄の高校野球界に指導者として戻ってきた
比嘉:春夏連覇をしたピッチャーが、指導者という立場で戻ってきた。当時を知る野球少年、球児たちからすると「憧れの存在」が戻ってきているので、非常に沖縄にとっては大きいと思います。
ー洋奨さんにとって、公也さんはどんな存在
島袋:監督としてセンバツ優勝された時(2008年)、僕は中学生だった。すごく応援していましたし、沖縄の高校野球のレベルの高さを見ることができて、自分も全国で戦える選手になりたいなと思いました。
沖縄高校野球の聖地・奥武山球場
ー今回インタビュー場所に「沖縄セルラースタジアム那覇」(前身は奥武山球場)、沖縄の高校野球にとっての “聖地” とも言われる場所を選んだ。奥武山球場の思い出は
比嘉:やっぱり沖縄の高校野球の決勝といえばここ、という、今も当時と変わらない印象かなと思っています。僕らのときの球場は少し古い感じで、それはそれで味があってよかったけれど、今はもう施設が全て整っているので、野球をやるにはすごくいい環境。
島袋:僕が高校現役のときは、メイン球場が北谷球場(※編注:球場の改修工事のため2006年~2010年の決勝戦は別球場で開催)だったので、正直そこまで、思い入れは少ないんですけど、今回の夏もそうでしたが、すごくたくさんの人が入るなかで、高校球児が試合できるのはすごく良いなと思います。立派な球場、沖縄は多いですけどその中でも一番大きい球場ですので、プロ野球の公式戦も開催されますし、沖縄の球児みんなが目指す場所になるんじゃないかと思います。
1999年 沖尚が県民悲願の甲子園初優勝
ー1999年の春を振り返って思い出すことは
比嘉:ひとつ勝てばいいかなぐらいの、そういう感じで乗り込んだ甲子園で、まさか自分たちが優勝するとは夢にも思わなかったです。今でもなんで優勝できたんだろう…不思議な大会だったなと。ただ一戦一戦、戦うごとにチームが勢いに乗っていったし、力が付いていってるなと感じたので、甲子園という球場が自分たちでは出すことができない力を引き出してくれたのかなと思います。
ー沖縄の盛り上がりも凄かった
比嘉:新聞記事の切り抜きのFAXが宿舎に届いて、すごく盛り上がってるというのは宿舎にいても分かっていた。「応援されてるな」という印象を受けていました。
ー当時まだどこも成し遂げていなかった県勢優勝は意識したか
比嘉:小学生の時に、沖縄水産が2年連続で夏の甲子園準優勝、2学年上では浦添商業がベスト4になったので、「沖縄でもやればできる」とは思っていました。
ただ、同級生はどうか分からないけど、僕は「優勝」とか、「絶対甲子園に行く」みたいな、そういう強い思いを持って取り組んでいたわけじゃなかったと思います。優勝した瞬間は「明日も試合があるのかな」という感覚、不思議な感じだった。(スタンドの)ウェーブとか、沖縄に戻ってからの人の多さを見たときに「すごいことをしたんだな」と思ったのは覚えています。
(凱旋して)那覇空港、学校までの沿道でも多くの方が手を振って下さってたので、多くの方が喜んだということは、良かったなと思います。
ー沖縄にとって甲子園は特別なんだと感じた?
比嘉:僕が高校生の時に「甲子園優勝が先か、大臣(の輩出)が先か」みたいなことを言われた記憶がある。大臣のレベルと甲子園の優勝が同じ扱いを受けるということは、やっぱり沖縄にとって高校野球は特別な競技なのかなとは思います。
ー島袋さんは沖縄尚学のセンバツ初優勝の時は覚えていますか?(まだ7歳ごろ)
島袋:ちょっと覚えてない(苦笑)
比嘉:そりゃそうですよ!(笑)
島袋:映像ではもちろん見たことあるんですけど、リアルタイムで見ていたかと言われたら、たぶん見ていない(苦笑)。当時は分からなかったけど、大きくなって(初優勝時の)映像を見るにつれて、沖縄の盛り上がり方はすごくて、本当に悲願を成し遂げた瞬間だったんだというのは思いました。
甲子園はみんなが応援するので、自然と見るようにもなっていったし、そこ(甲子園)に憧れてる自分もいました。チーム沖縄というか、野球だけでなく、色々な分野で沖縄の人が県外で頑張っているのを皆で応援する風習はすごくいいなと思うし、私も甲子園は常に(県代表チームを)応援しています。
(後編へ続く)
2人の対談の様子は、RBCテレビで11月20日(水)夕方6時15分から生放送の「映像が語る沖縄70年 RBCキャスターが見たニュースの舞台裏」でご覧になれます。
RBCの映像ライブラリーから掘り起こした貴重映像や、歴代ニュースキャスターが集結が今だから明かせる “あのニュース” の舞台裏にご期待ください。
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