高校野球の歴史に輝く興南高校の「甲子園・春夏連覇」は、沖縄尚学のセンバツ初制覇から11年後の出来事だったー 特別企画の後編は、当時のエース・島袋洋奨氏の回想から始まります。
(琉球放送70周年記念番組の特別企画として行われた、沖縄尚学高校野球部監督・比嘉公也氏と興南高校野球部コーチ・島袋洋奨氏の初対談をテキストにしています。この記事は後編です)
■前編の記事
【初対談 沖尚・比嘉公也 × 興南・島袋洋奨】「ひとつ勝てばいい」と乗り込んだ甲子園… 沖縄高校野球界の歴史を変えた2人の左腕が語り尽くす 【特別企画・前編】
2010年 興南高校が史上6校目となる 甲子園春夏連覇を達成
ー高校当時の目標は
島袋:やっぱり甲子園出場を目標に。甲子園に初めて出場した2年生の時は1回も勝てずに帰ってきたので、そこからは皆で「甲子園で勝てるチーム」を目標に取り組んで、良い結果につながりました。
ーセンバツの時のチームの雰囲気は
島袋:初めは「1勝」、「勝ったことがない甲子園でまず勝とう」というところからスタート。いつの間にかというか、気づいたら決勝戦まで行けた。そもそも優勝を目指して甲子園に行ったかと言われたら、そうではない。
ー(センバツ優勝で)夏に向けて手応えも感じた?
島袋:いや、夏に向けては、リセットされた感覚。夏は夏で1回も勝っていないので、まずは甲子園出場から目標に。出場が決まったときは、「1回戦勝とう」という感じでした。
自分たちでも成長を感じることはあったけど、ベスト4で結構な点数を自分が先に相手(報徳学園・兵庫県代表)に取られて、正直「負けるかもしれないな」という雰囲気はあった。でも、そこで逆転できた。すごく成長できたと感じた。(編注:島袋は夏の準決勝で報徳打線に捕まり、2回までに5点のリードを許したが7回に逆転している)
ー結果、夏も制して連覇。最後の打者を三振に抑えた時の思いは
島袋:「終わった」と。やっと終わったなという感覚と、(決勝の相手の)東海大相模には招待試合で負けていたので、その東海大相模に勝てたと。優勝というよりそこが先にきました。
球場の観客も温かく、那覇空港に着いても学校に戻っても、大勢の方が迎え入れてくれました。自分たちの好きな野球で、県民が喜んでくれた。頑張ってきてよかったな、という思いでした。
比嘉:春は僕らも優勝したんですけど、春夏連覇するというのは、本当に力のあるチームしかできないことだと思う。もう素直に凄いチームだと思います。
県外への人材流出、競技人口の減少… 沖縄高校野球の今後は
監督としてもセンバツを制覇した比嘉、プロも経験した島袋。2人を目標として多くの球児たちが汗を流す沖縄の高校野球界だが、未来には気掛かりなこともある。
ー野球をする子どもたちが減っている。現場で教えていて感じることは
比嘉:興南高校が春夏連覇する前からも(優秀な選手の)県外流出、そういったものがあったかもしれない。今一度、沖縄の高校野球が踏ん張って、何とか県内に残ってもらって、また興南と同じような、春夏連覇できるようなチームが出てこないといけないなと思ってます。
ーお互いに友達、的な感覚も?
島袋:友達では絶対ないです。(※比嘉が11歳年上)
比嘉:友達になりたいなと思っています。
(片野アナ):それは僕に言わないで、直接言ってください(笑)
2人の対談の様子は、RBCテレビで11月20日(水)夕方6時15分から生放送の「映像が語る沖縄70年 RBCキャスターが見たニュースの舞台裏」でご覧になれます。
RBCの映像ライブラリーから掘り起こした貴重映像や、歴代ニュースキャスターが明かす “あのニュース” の舞台裏も。ご期待ください。
■対談者プロフィール
比嘉公也 氏
沖縄尚学高校野球部監督。1999年のセンバツ大会にチームのエースとして出場。県勢甲子園初優勝を成し遂げる。2008年には監督として2度目のセンバツ制覇。1981年生まれの43歳。
島袋洋奨 氏
興南高校野球部コーチ。2010年に興南高校のエースとして、当時史上6校目となる春夏連覇を達成。2015年ドラフト5位でソフトバンクホークスに入団、2019年に引退。現在は恩師・我喜屋優監督のもと、指導者としての経験を積む。1992年生まれの32歳。
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